SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
  • 都庁南展望室「一寸法師ライブペインティング」
    (11/02)
  • [Cardboard-Paintings-Meeting :388] 朝日新聞に掲載
    武盾一郎 (10/25)
  • シンポジウム「段ボールハウス絵画とは何だったのか」
    武盾一郎 (10/19)
  • [Cardboard-Paintings-Meeting :378] ダン研記念 T シャツのオーダー
    深瀬鋭一郎 (10/13)
  • [Cardboard-Paintings-Meeting :378] ダン研記念 T シャツのオーダー
    kou (10/12)
  • [Cardboard-Paintings-Meeting :190] ビッグ・イシュー取材報告
    宮崎 (10/10)
  • [Cardboard-Paintings-Meeting :237] 9.3 編集会議の議論を経た深瀬原稿修正版
    村上知奈美 (09/07)
  • 第2回会合議事録「新宿を歩こう!ツアー+ダンボールハウス絵画映像記録上映会」
    (09/05)
  • 第2回会合議事録「新宿を歩こう!ツアー」(新宿散策速報)
    (09/05)
  • [Cardboard-Paintings-Meeting :97] 第 1 回ミーティング無事終了報告
    (09/05)
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

02
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
--
>>
<<
--

新宿区ダンボール絵画研究会

cardboard-paintings-meeting
第5回会合議事録・新潟ツアー「木暮茂夫氏に聞く 〜地下コミュニティーから農耕コミュニティーへ〜」
0
    木暮茂夫
    写真・文/木暮茂夫

    開催日時:2005年7月30日(土)
    場所:新潟県十日町市浦田地区(旧松之山町)中立山部落
    タイトル:新潟ツアー「木暮茂夫氏に聞く 〜地下コミュニティーから農耕コミュニティーへ〜」
    参加者:伊澤伸、小林純子、原島康晴、武盾一郎
    ビデオ撮影:伊澤伸
    写真撮影:伊澤伸
    ※文中敬称略

    最も長くダンボール村に滞在した写真家・木暮茂夫氏。今は新潟で茅葺き職人を営んでいます。
    木暮氏に会いに有志4人が日帰りツアーを敢行。

    avi動画
    食事しながらインタビュー (320x240 15fps 221.5MB)
    http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0209.AVI

    いろり端でのインタビュー (320x240 15fps 308.2MB)
    http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0228.AVI
    ---------------------------------------------------------------------
    木暮茂夫さん宅




    木暮茂夫氏





    いろり。左から木暮さん、原島さん、武


    家から見える景色





    木暮さん宅


    ちょっと歩くと


    木暮さんの棚田


    右・トリップしてるのは小林純子さん、中・木暮氏、左・武


    鎮守の森


    神社


    中立山部落


    棚田(美しい!!)





    新潟ツアー


    ※議事録テキストは都合により掲載致しません。木暮氏インタビューを見たい方は動画からお願いします。
    avi動画
    食事しながらインタビュー (320x240 15fps 221.5MB)
    http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0209.AVI

    いろり端でのインタビュー (320x240 15fps 308.2MB)
    http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0228.AVI


    ---------------------------------------------------------------------
    編集後記:
    1994年から新宿西口地下道の段ボールハウス群に入り込み、路上生活者コミュニティーを内側から撮り続けた写真家の木暮茂夫氏。
    ホームレス当事者以外(支援者・ボランティア・絵描き・その他)で氏ほどコミュニティーに滞在した人はほとんどいないと思われます。えぐるように張りつめた写真の数々はそこまでダンボール村コミュニティーに深く入った人間ならではの迫力です。

    「米カンパ餌とりキャラバン」と銘打って写真展巡回を行い、約2トンの米を集めて路上生活者に寄付をしたと云う凄過ぎる偉業はあまり知られていません。

    現在木暮氏は東京を離れ、絵に描いたような田舎村(中立山部落)で茅葺き職人をしながら農作業をしています。東京から移住した人は現時点で木暮さん一人。
    中立山部落の人口は10人だったんですが、最近一人亡くなって9人。棚田を維持することはほとんど絶望的な状態だそうです。
    しかし、木暮氏は全ての棚田を復活させるという夢を抱いています。そんな氏を部落の人たちは「もうぞう」と呼んでいるそうです。
    「もうぞう」とは「妄想」と「小僧」を掛け合わせたような意味だそうです。


    木暮氏は最初、ダンボール村当時の事を語りたがりませんでしたが、無理を言ってインタビューにこたえて頂きました。(take)


    | 議事録・会合報告等 | 14:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    「ダン研」これまでの活動
    0

      ◎第0回会合「キックオフ会」
      日時:2005年4月2日(土)11:00〜
      場所:ベルク下のカフェ
      1995〜1998に存在した新宿西口地下道段ボールハウス絵画についてアーカイブしていくにあたり「新宿区ダンボール絵画研究会」を発足。その旗揚げ会合。
      会合終了報告 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=152883

      ◎第1回会合「稲葉剛さんに聴く」
      日時:2005年4月30日(土)11:00〜15:00
      場所:もやい事務所こもれび荘2F
      新宿連絡会として現場で野宿者支援活動を続けて来た稲葉剛さんがダンボール村当時についてを時系列で語って行きます。
      議事録 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=211275
      会合終了報告 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=184252

      ◎第2回会合「新宿を歩こう!ツアー+ダンボールハウス絵画映像記録上映会」
      日時:2005年5月21日(土)11:00〜14:30
      場所:新宿区立環境学習情報センター
      当時の新宿の記憶を辿りながら実際に新宿西口の現場を散策します。プラス、段ボールハウス絵画にまつわる映像を上映。
      議事録・全般 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=282371
      議事録・新宿散策 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=208238

      ◎第3回会合「武盾一郎×山根康弘 アーティスト・トーク」
      日時:2005年6月18日(土)11:15〜12:15
      場所:新宿区 角筈地域センター
      当時のエスキース帳を元に武盾一郎と山根康弘の当事者二人が段ボールハウス絵画の制作方法などについて語ります。
      議事録 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=253019

      ◎第4回会合「「写真家・迫川尚子の視点 〜私が新宿地下道を撮った理由」
      開催日時:2005年7月18日(土)13:00〜15:30
      場所:新宿区 柏木地域センター
      96.1.24の強制撤去から98.2.14のダンボール村消滅までの間毎日通いシャッターを押し続けた写真家迫川尚子氏が写真を見せながら当時を語ります。
      議事録 作成中
      | 議事録・会合報告等 | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      第2回会合議事録「新宿を歩こう!ツアー+ダンボールハウス絵画映像記録上映会」
      0
        禁止看板

        開催日時:2005年5月21日(土)11:00〜14:30
        場所:新宿区立環境学習情報センター
        タイトル:第2回会合
        「新宿を歩こう!ツアー」
        「ダンボールハウス絵画映像記録上映会」
        「今後の研究会活動に関する討論会」

        参加者:池上善彦、氏家茂将、大塚郁子、窪田研二、齋藤雅文、関根正幸(遅刻)、武盾一郎、田中さお、玉重佐知子、土屋トカチ、長澤洋平、野口智美、深瀬鋭一郎、毛利嘉孝
        議事録作成:武盾一郎(ツアー部分)、深瀬鋭一郎(全般)
        ビデオ撮影:土屋トカチ
        写真撮影:深瀬鋭一郎、氏家茂将
        ※文中敬称略

        Quick Time新宿散策動画(土屋トカチ撮影編集)(320x240 24fps 78.2MB)
        http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/shinjyuku.mp4

        ----------------------------------------------------------------------
        ◎ 11:00〜11:30
        ツアー参加者の集合を待ちながら「第4回新宿夏祭り」(1997.8.17)の映像を上映
        【武】
        ノイズ音楽の大御所、大友良英と武盾一郎がコラボレーション。ステージバックの巨大絵は東大駒場寮で制作し、夏祭りではその前でライブ・ペインティング。出演者は舞踏家・写真家の酒井敦、A-Musik、ソウルフラワーモノノケサミットなど。

        ◎ 11:30〜13:30
        新宿を歩こう!ツアー
        ツアーコンダクター:武盾一郎
        事務局:深瀬鋭一郎

        [順路:新宿中央公園(ステージ跡付近)→地下街A通路(入り口、動く歩道、突起物、禁止看板)→中央広場「新宿の目」→地下街トイレ→旧インフォメ前(作品「新宿の左目」があった場所)→地下街B通路(武逮捕場所)→京王新線通路(植栽、禁止看板)→小田急デパート前(禁止看板、突起物ミニ)→地下室のメロディー跡地]

        1.24強制撤去最前線
        新宿散策の模様(新宿散策速報)

        Quick Time新宿散策動画(土屋トカチ撮影編集)(320x240 24fps 78.2MB)
        http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/shinjyuku.mp4


        ◎ 13:30〜14:00
        「ダンボールハウス絵画映像記録上映会」
        1.「ドロップアウトTV第2巻」・アートな気分
         4人でダンボールハウス絵画を描いている日の映像とインタビュー。
        2.テレビ東京「This Evening」・ダンボールハウス絵画の紹介
         吉崎タケヲ、山根康弘、武盾一郎が描いていた頃の映像とインタビュー。
        3.テレビ東京「誰でもピカソ」・英文情報誌「Tokyo ジャーナル」ベストアーティスト賞紹介
         過去受賞はダムタイプなど。ビートたけしと武盾一郎の間で一言だけ会話。
        4.TBS News 23「多事争論」・神戸市役所前ソウルフラワーモノノケサミットとのライブペインティング
         1996.1.24の西口地下道大撤去の映像と神戸でのインタビューとライブペイント。
        5.東京大学駒場寮「オブスキュア」での「世紀末とのコラボレーション展」
         武盾一郎が鷹野依登久とコラボレーションしている映像。
        6.「第5回新宿夏祭り」(1998.8)
         新宿中央公園ステージやベンチに「I Live Here」と描きまくる。

        ◎14:00〜14:30
        「今後の研究会活動に関する討論会」
        <発言者名は必要がない限り省略、発言順不同>
        【事務局】
        ダンボールハウスは本質的にノマドである。京王新線側にあったダンボールハウスは終電後に実際に移動していた。だから展覧会も研究会もノマド形式で行う。研究会は3〜4週間置きに毎回違う場所で、展覧会・イベントも毎回違う場所で連続して行う予定である。現時点で確定しているのは、8月1日〜31日(実際は9月30日迄)にベルクで迫川尚子ダンボールハウス写真展を行い、8月14日前後には武盾一郎ライブ・ペインティングを行うこと。9月18日〜10月10日はいよいよ環境学習情報センターで展示を行えるよう申請中。長期展示を行うためには特例措置が必要。特例措置がとれない場合は、期間短縮の可能性がある。
        【参加者】
        今後の展開においては、「過去の出来事を現在にみせる」ことが課題。例えば、旧跡マップを作成して、展覧会案内のA4チラシ裏面に印刷し、配布するとともに、展覧会場にも大きく貼り出してはどうか。いわば「新宿地下街名所旧跡地図」の作成が重要で、これによって過去と現在が繋がる。「新宿を歩こう!」
        は大変楽しかったので、展覧会期間中、観客向けにガイドツアーを催行しても良いのではないか。今回と同じく、歩いてから上映を観るとイメージを掴み易い。

        【毛利】「歩く」行為の芸術性に興味がある。以前、九州のGallery Soapで毎日歩いて飲むという企画を行った。このプロジェクトでも同じような試みをしたらどうか。

        【事務局】 例えば、2005年8月14日のダンボールハウス描き始め10周年イベントについては、以下のような案があり得る。

        1)新宿夏祭りへの再参加
        第1回会合で稲葉氏からコメントがあったとおり、新宿中央公園の野外ステージが「震災対策補強工事」の名目で2005年2月から1年間閉鎖されていることから、新宿夏祭りの開催場所が変わる可能性が高い。このため、ライブ・ペインティングをイベントとして行うことは可能にしろ、どういう形で行い得るかは、現段階でははっきりしない。

        2)ライブ・ペイント+奉納式
        「新宿の左目」を再製作してはどうか。10周年の8月14日に、新宿西口地下街で動く歩道で搬送して、旧インフォメ前に設置する。撤去勧告を受けないようタブローをリヤカーに乗せて運ぶか、動く歩道を使って2名で両端を持ってタブローを搬送する方法が考えられる。再製作は、反体制的芸術活動が歴史評価を通じて制度に取り込まれたことを象徴的に示すため、タブローとして製作することが妥当である。東京都庁展望台をイベント・スペースとして借りてライブ・ペインティングを行うことも考えられる。
        【参加者】
        なお「新宿の左目」の再製作は決定的に重要なので、是非行った方が良い。その際は、素材感が変わらず、また再製作の象徴性が損なわれないよう、ダンボールをパネルにして描くのが良い。また新宿の左目Tシャツを作り、皆で着てイベントを行うのも良いかもしれない。
        【武】 昔「新宿の左目」Tシャツって本当に作ったんすよ。まだあったかなあ。探してみます。
        【事務局】
        それを復刻してもいいかもしれない。Tシャツ版元の知人に相談してみる。さて、次回(第3回)会合のスピーカー依頼をどうするか。ちなみに、第1回会合はダンボール街居住者と支援者の証言。第2回会合は旧跡歩きと記録映像上映の鑑賞会である。
        【参加者】
        第3回会合では作家の回想や、目撃者証言を聴くのが適当ではないか。それが困難な場合には、新宿夏祭り関係者などダンボールハウスに直接関係した訳ではないが、周辺の活動を行っていた人に話をしてもらうことでどうか。本研究会が専ら芸術活動の研究を主眼に置いたものであるから、活動家を招聘するのは適当ではない。誰をゲスト・スピーカーとして招聘するかには、以下の案があり得る。
        第1候補:撮影者 迫川尚子
        第2候補:アーチスト 吉崎妙子(タケヲ)、山根、太田倫子、鷹野依登久ほか
        第3候補:新宿夏祭り関係者(特に音楽関係)
        第4候補:同時代の傍観者 ペペ長谷川(だめ連)
        第5候補:報道者 遠藤大輔(ドロップアウトTV制作)

        【事務局】
        なお土屋トカチ氏に、武盾一郎がライブ・ペインティングで参加した1996〜98年の新宿夏祭りビデオを作成してもらえないか。長さは15分程度。第1回の稲葉氏と内藤氏のトークや、今後のゲスト・スピーカーのインタビュー・ビデオに纏めていく必要がある。
        【土屋】 承諾した。

        以上
        | 議事録・会合報告等 | 17:53 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
        [Cardboard-Paintings-Meeting :161] トークショー動画公開
        0

          (左から迫川尚子、深瀬鋭一郎)

          On 2005年 7月 19日 , at 11:23 PM, Shin Izawa wrote:
          伊澤です。

          トークショーの動画をアップしました。

          トークショー「写真家・迫川尚子の視点 〜私が新宿地下道を撮った理由」
          (320x240 15fps 333.15MB)
          http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0171.AVI

          質疑応答 (320x240 15fps 74.26MB)
          http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0173.AVI

          それぞれ巨大なファイルですので、ブロードバンド環境でダウンロードしてください。
          動画は15fpsなので、カクカクですが、音声+おまけぐらいの感じで見てください。
          AVIですので、Windowsであれば、そのままWindows Media Player 9以降で見ることができます。
          MacであればVLCで見てください。

          VLC
          http://www.videolan.org/vlc/

          残念ながらQuickTimeでは観ることが出来ません。

          | 議事録・会合報告等 | 15:43 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
          [Cardboard-Paintings-Meeting :154] 第 4 回会合無事終了報告
          0
            On 2005年 7月 17日 , at 0:07 AM, Take Junichiro wrote:
            本日、7月16日(土)13:00 〜行われた第4回会合「写真家・迫川尚子の視点 〜私が新宿地下道を撮った理由」無事終了致しました!
            これまでの3回に渡った会合はかなり「ハードコアな勉強会」という感もあったのですが、今回は開けた感じのワークショップだったと思います。
            (庭園の見える和室というロケーションも良かったですね)
            人数は初参加5人を含めた20人弱でした。

            モノクロ写真を中心とした時系列での解説と、
            西口地下道で出逢った人たちのエピソード、
            そして写真家「迫川尚子」の魅力を堪能出来たのではないでしょうか。

            今回議事録はアーティストの寺西さんにお願い致しました。
            どうか宜しくお願い申し上げます。

            撮影のトカチ氏、伊澤氏、有難うございます。

            そして、これからナディッフで毛利氏のトークを催す予定(9.10)ですが、それと同時にエコギャラリー展覧会中(9.18-10.10)に行うレクチャーの打合せ、今月末に行く7.30新潟ツアー、前代未聞、都庁展望室でのライブペインティングについて等、の打合せも行いました。

            写真を撮った方、(関根氏のみかな?)もし早急に数枚でもスキャン出来たらWEBアップ用にお願い申し上げます!

            今現在は本日の写真が僕の手元にないので、
            当時の「制作ノート」に迫川さんの似顔絵を描いてるものが幾つかあるのですが、段々デフォルメされて行って、最終的に「サコQ」というキャラクターに昇華して行った状態の「迫川尚子」氏を添付して送ります。

            本日はどうも有難うございました。

            武盾一郎

            添付:当時の「制作ノート」より「サコQ」原形
            サコQ
            | 議事録・会合報告等 | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            第3回会合議事録「武盾一郎×山根康弘 アーティスト・トーク」
            0
              第3回会合
              (左:武盾一郎、右:山根康弘)

              開催日時:2005年6月18日(土)11:15〜12:15
              場所:新宿区 角筈地域センター
              タイトル:「武盾一郎×山根康弘 アーティスト・トーク」
              参加者:伊澤伸、氏家茂将、大石和子、桑田明香、関根正幸、土屋トカチ、寺西麻紀、原島康晴、毛利嘉孝
              説明者:武盾一郎、山根康弘、深瀬鋭一郎
              議事録作成:桑田明香
              ビデオ撮影:伊澤伸、土屋トカチ
              写真撮影:伊澤伸
              ※文中敬称略

              avi動画(伊澤伸撮影)(320x240 15fps 278.9MB)
              http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0145.AVI

              ----------------------------------------------------------------------
              ◎はじめに
              【深瀬】 前回の研究会開催直後に、武と山根のエスキース帳にダンボール絵画の下絵を大量に発見した。これまで作家(武)は「下絵無しの一発書きで描いている。」と語ってきたが、実はそうではないことが分かった。マットに貼り込み済みのもので80枚、うち裏面もかかれているのが数十枚、合計100枚以上のエスキースがある。これらは、ダンボールハウス絵画描き始めの時期──1995年8月14日から強制撤去が行われた1996年1月24日まで──に描かれた絵画の下絵である。この時期は武盾一郎、吉崎妙子、山根康弘の3名で描いていた。武、吉崎は初日8月14日から、山根は9月4日から参加した。更に太田さんなど2名が数日だけ参加している。太田さんにも今日の研究会の声をかけたのだが、「少ししか描いていないのにおこがましい」と出席を辞退された。
              *クロッキー帳:
              クロッキー帳

              ◎初期ダンボール絵画について
              【武】当初は武一子(盾一郎)と吉崎タケヲ(妙子)が二人で描き始め、少しずつ人が増え、山根が9月4日から描き始めてその後継続、1月24日まで三人のコラボとなる。
              代表作「新宿の左目」は、まさに武盾一郎、山根康弘、タケヲ(吉崎妙子)の三人で製作された。
              *新宿の左目:
              http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/cat1/index.php
              http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_117.php

              ◎山根の絵のバックボーンについて
              【武】初め、山根は大阪でデザインをしていた。その後関東に出て来て油絵に転向。
              武もこれまで「何にもやってない」と言っていたが、実を言うと初めは(【深瀬】美大受験のため予備校に行って・・)木炭、鉛筆デッサン、油絵を描いていた。
              武、山根、吉崎は美術予備校・彩光舎で出会った。
              *彩光舎:http://www.saikosha.jp/

              【深瀬】今回発見された武の予備校時代のクロッキー帳。ここには既にダンボール絵画に現れる絵の下絵が見受けられる。つまり、予備校時代からアイディアを暖めてきたと思われる。また山根のクロッキー帖には、描き初めた頃の山根の印象的な言葉:「僕は宗教画家である」という言葉が書いてある。

              ◎ダンボール絵画を描くきっかけ
              【深瀬】1995年8月にはダンボールハウス撤去反対ののぼりがたっていて西口が非常に賑やかだった。そこで武と吉崎はしょんべん横丁に抜ける地下道で壁画を描こうと思った。そのエスキースがこれ。

              【武】しょんべん横丁に抜ける地下道で壁画を描こうと思い立ったがダメだったので、ダンボールハウスに絵を描き始めた。もし地下道に描いていたなら、その後のダンボールハウス絵画はなかった。ということは一生浮かばれなかったということだ。
              *しょんべん横丁に抜ける地下道に描こうとした絵のエスキース:
              しょんべん横丁に描こうとした絵

              ◎山根の参加(1995年9月4日から)
              【山根】武とタケヲが描き始めたという噂を1995年8月終わり頃に聞き、太田と二人で1995年9月4日に見に行った。ダンボール絵画を見た瞬間、「これはすごいことになる!」と直感的に感じた。武の誘いもあり、その場で少し描かせてもらった。そのまま皆で飲みに行き、そこで武に「一緒にやりたい」と頼み込んだ。それまで休みがちだった予備校には完全に行かなくなってしまった。

              【武】山根の参加を許可したが、微妙な心境だった。
              *山根初参加のもよう:
              http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_79.php

              ◎ユニークな製作形態
              【深瀬】周到な下絵、下地を作った上での壁画制作、しかも工房スタイル。それはいったい意識的にやっていたのか、無意識的にやっていたのか?

              【武】かなりの作品の全体像を山根が決めている。それが面白い。代表作である「新宿の左目」のエスキース帳に、山根はこのような言葉を書き記している。

              山根の言葉:
              「それは一つの新たな宗教の提示であるのかもしれない。
              私は宗教画家である。
              その宗教には経典がない。
              理論的説明はいらない。
              ただ感情、あるいは魂に訴えるものであるのだ。
              俺が俺として生きるための宗教、「新宿の左目」」
              新宿の左目

              【山根】 もともと右目[注]があって、このままではバランスが悪いと思い、左目を作ろうということになった。(山根が参加する前からの通算か、または)3人で描き始めてからか不明だが、だいたい13作目らしい。ある程度描いてきて、大きなシンボル的になるのでは、という予感はあった。当時21歳くらいで精神的にいっぱいいっぱいな状態だったし、とにかく何か全部をぶつけたかった。それがこの絵につながったのではないか。
              [注]パブリックアート「新宿の目」。JR西口改札を出て、ロータリーを左手にみながら都庁(高層ビル街)方面に進むと、右側スバルビルの角壁面に存在。
              新宿の目

              【深瀬】 ダンボール絵画の描き方はすごく古典的。そこが面白い。宗教画として礼拝所に描かれたりしているものと同じような感覚で描いているのでは?

              【山根】 武さんはストリート絵画的な意識が強かったかもしれないが、自分としてはどちらかというと壁画的な意識が強かった。

              【深瀬】 するとこのコラボレーション・スタイルは山根君が発想したの?

              【武】 それは僕です。ミュージシャンが数人で演奏しているのを見て楽しそうだと思った。音楽を奏でるように絵を描いてみたいと思った。音楽のようにパートを持ちたいと思った。描き始めの頃は、三人とも同じところを描いていたりしていて、役割がありながらも未分化だった。面白いのは、描写を三人とも描いていたところだと思う。ただ、山根が意外と構図を作る時に決定的な役割をしていた。例えば、この作品では(山根のエスキースを見て)完成とほぼ同じ。
              *犬とブタ:http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_80.php

              【武】以前から「抽象的にやっていた」と言っていたのはウソで、かなり計画的にやっていました。あやまらなければ・・・。

              ◎製作形態の詳細
              【武】人体の構成は殆どタケヲが担当。山根は例えば、写りこみの影とか主にエッジを得意としていた。(髪の)生え際など。自分はなにをやってたか思い出せない。絵を描いてる時間はみな同じくらい長いのに、ぼくは取り立ててなにもやってない?

              【山根】 でも、まぁそうは言っても全体的に武さん描いてますよ。こぅいうのとか(写真をみつつ)。

              【深瀬】 中心点がどこにあってもいいように、オールオーバーに平面的に描いている。

              【武】 全体的に(描いている)だから何をやっているのかわからない。(ヤマネのエスキース帳をみながら)みんなで黒塗りして、人体はタケヲが担当、文字をエスキース帳に書いてから配置。じゃあ自分は何をしてたかというと、三角形を描いたのはやはりオレだ。きっと。
              *山根下絵:
              山根下絵

              *完成:http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_35.php

              【山根】 僕はひとつのことにのめりこんで描くタイプ。武さんはそうではない。二人が描いているのに手を入れたくなるタイプ。

              ◎製作時期と傾向
              【深瀬】ダンボール絵画製作は3期に分かれている。
              一期が武・タケヲ・山根の三人、
              二期が武とタケヲの二人。1996年8月に器物損壊で捕った後、
              三期は武一人で描き始めるが抽象的な傾向のものが多い。
              武は当初から抽象的なものを志向していたのかもしれない。

              【武】 確かに、最初からこういう傾向(抽象的な)はあったのかもしれない(作品の写真をみつつ)。
              *武一人による作品:
              http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_93.php

              【山根】 自分は全体よりもモチーフを描くのが好きだった
              *山根一人による作品:
              http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/08/up_and_down.php

              【武】 とにかく、絵を平面的にしてみようというのが意識としてあった。パースペクティブをつくらないでどこまでできるのか挑戦したかった

              【山根】 確かにそういうところはあったと思う。

              【深瀬】 1980年代に新表現主義が出てきて、世界を席巻していく。それに引き続いて90年代の、早い人で前半くらいから、フラットな画面構成を追及しだす傾向が現れる。村上隆など。彼ら(武・タケヲ・山根)も同時代意識として平面的なものを追求していたと思われる。

              【武】 確かに平面的な配置をしていた。またディスカッションもよくしていた。ボクは言葉を考える役割だったのじゃないか?と思ったんだが、エスキース帳をみると、意外と三人で考えていたようだ。絵描きの中には、一般的に、絵の中に言葉が入ってくるのを嫌う人が多いが、僕らはむしろ言葉を入れようとしていた。
              *漫画風作品言葉:
              漫画風

              *漫画風作品完成:http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_30.php

              【武】代表作の一つとして、平家物語のパロディがあるこれもみんなで考えた。(平家物語1には山根は加わっていない)

              *平家物語1:http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_28.php

              【武】これを見ながら歩いていたサラリーマンが正面衝突していたのがすごく印象的だった。「ゴン」というすごい音がしたので良く覚えている。

              *平家物語2言葉:
              平家物語2

              *平家物語2完成:http://cardboard-house-painting.jp/take/archives/1996/01/115_1.php

              【武】特に顔の場合だと三人で一気に描いていくスタイルだった。人が書いた上に重ねて行ったり。それを繰り返し、三人で納得がいった段階で終わらせていた。時間で切ってはいなかった。
              *顔:http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/07/post_7.php

              【武】ボクは何をやっていたのか?トータルのバランスをとっていたのか(崩していたのか)?

              【深瀬】 (武は)アイディア出しが多いと思う。ダンボールハウス絵画のネタとしては、痛くて悲しいものが多いのではないか。そして評判のいい作品はやはり痛くて悲しい。武は常に「僕悲しいんです」と言っていた。ネタ出しと全体構成を武、ディテールをタケヲと山根がやっていたのではないか。武はモチベーション係?

              ◎山根の脱退
              【武】二丁目のオカマバーで3人のグループ名を決めようとした。

              【山根】 この後実は大喧嘩になった。ホテルの壁画制作の打ち上げだった。このあたりから(ダンボール絵画制作を)抜けようという意識があり、「ギャラはいらない」と言う話からケンカに発展。俺は泣きじゃくってた・・・。

              【深瀬】 なんで抜けようとしたの?

              【山根】 実際三人で製作してきて、何か辛くなってしまった。一人で描きたくなってしまった。結局自分の絵ってナニ?とか考えてしまった。強制撤去がちょうどそのタイミングだった。

              【深瀬】 強制撤去による精神的なショックが原因では無く、前々から考えていたと言うこと?

              【山根】 確かにあの時、いろんなテンションが一気になくなってしまって、終わりを意識せざるをえなくなった。

              【深瀬】 (武に向かって)それにもめげず描き続けたときの心境は?

              【武】 撤去直後は何日間かそこに近寄れなくなり、2月18日にやっと新宿に戻っている。「そこらへんでうろうろしてるとつかまるぞ。」と言われていた。
              実際は強制撤去の次の日(1月25日)そして26日と新宿に出向いています。24日間かけて描いていた「スイートホーム」という絵があったのですが、その家主ケンさんを探しに新宿に行ってます。1月30日、TBSのカメラがくっついて来る形で、ケンさん含む住人達と一緒に都の西口地下道を抜けたあたりにある巨大な倉庫に荷物を取り返しに行きます。絵もそこに保管されていましたが、その時僕は「中に人が住んでいないと意味がない。」という発言をし、このシーンはテレビで放映されたと思います。自分たちの絵は置き去りにして来ました。よって半年間保管した後に都は廃棄。そして、2月15日に段ボールハウス絵画制作を再開し、18日に再開第一作が完成します。
              音楽だったら3人で継続できたかもしれないが、絵だと4-5ヶ月くらいがコラボの限界なのかもしれない。

              【山根】 しかし結局その後武さんに誘われて東大駒場寮に行っている。

              【武】 この(2005年)8月に出る写真集が10年ぶりのコラボになる。しかしそのコラボは絵の中ではなく、編集を武が担当、製本を山根が担当する形になっている。10年経ってやっと実現したコラボではあるけれど、おそらく一生絵の中でのコラボはしないと思う。

              【山根】 いや本当にそうかどうかはわからないでしょう。

              【武】 まあね。

              ◎山根の予言?
              【山根】 1995年9月4日に描き始めたわけだが、その2年前に予言めいたことを書き記していた。19歳ころのクロッキー帳には、
              「新宿駅構内を連作及び(何か)作品で埋め尽くす。
              このスキャンダルによって作品が一般に知れ渡ることになる。」
              と書いてある。これは武さんも見ている。

              【武】見てる。けど、信じられなかった。確かにそういう宗教的境地に昇華するような体験をあの場所で3人ともした。

              ◎ホームレスについて
              【武】のたれ死にを見たのは生まれて始めてだった。また、路上生活している親子や、二十歳くらいの人がいたことはショックだった。僕の印象では、障害者がすごく多かった。なんでこれをみんな言わないのか?不思議だ。労働者が溢れてホームレスになって・・・という捉え方もあるけど、自分はそういった現実を見て少し違う見方をしていた。

              ◎突起物のオブジェについて
              【武】 トーテンポールと埴輪をなんとかしたかった。実を言うとすごい計画的な行為で、採寸もしていた。一ヶ月かけて作ったものが速攻撤去されたので、戻ってきてペイントしたら捕まった。
              *逮捕:http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/cat5/index.php

              ◎めざしたかったもの
              【山根】 武さんが最初言ってたのは「きれいなだけの絵はいらない」ってこと。それには共感していた。しかし、下地がダンボールであることと、ペンキの発色の関係でどうしても暗い色合いの絵になってしまった。白ベースより黒ベースで描いていったほうが色の悪さをカバーできた。赤の発色がすごく悪かった。「それがストレス!」(=辞めるキッカケ?)


              以上

              ----------------------------------------------------------------------
              (編集後記)
              今回の議事録はいろんな意味で面白いと思います。
              1.まさにダイレクトな当事者の話しである事。
              段ボールハウス絵画を象徴するのは「武盾一郎」でした。
              今回、山根氏が解説を行った事によって、コラボレーションだったことがしっかりと制作解説が出来たと思います。
              多分に精神的要素が多い活動でしたが、現実的なエスキースを元に話しが出来たのは貴重だったと思います。

              2.議事録の発表方法
              当時の作品をアップしていた「新宿西口地下道段ボールハウス絵画集」や「制作ノート」にリンクを貼る事によりWEB上でのダイナミズムを体験出来ます。
              当時は物質的、肉体的コミュニケーション(コミュイティ)が主軸でした。
              インターネットのメリットを利用しまくった表現方法が出来たら、単なる回顧展とは違ったものになると思うのです。
              動画配信も含め「過去の事象」を「現在のやり方」で公開することによって、過去と現在(そして未来)を繋ぐことが出来るような気がするのです。

              3.多層性と過程の公開
              「ダン研」は、「資料収集と、その開示」を目的としています。
              が、ML(ブログ)ではあっちにこっちに話しが飛びます。
              「ホームレス」に興味のある人、「人権問題」に興味のある人、「グラフィティー」に興味のある人、「政治」な人、「文化史」に興味のある人、「アート」な人、「厭世的」な人、「今の世に不満を抱えてる」人、・・・、そんな人達が興味を持ってくれている。
              展示に向けての一つの軸を中心に多層的に興味が飛ぶのも面白いなあと思ってます。

              「過程」を公開して行く事によって、展示のみとは違った立体的な表現になるかなあと。

              4.「技」を持ち寄るコミュニティーが存在できないか
              個人個人考え方は違うし興味の対象も違う。いろいろな方達の「技(わざ)」を出し合ってもらってダン研は進んでいます。
              今回の場合、議事録は桑田さん、WEBアップ用動画は伊澤さん、プロの土屋トカチ氏にもしっかり撮影してもらってます。
              こんな形で表現が繋がって行けたらいいなあと思っております。


              皆様、本当に有難うございます。

              まだ、未成熟な形ですが、この表現方法は今後、定番となって行くでしょう。
              地味で渋い活動ですが、今後とも宜しくお願いします。(take)
              | 議事録・会合報告等 | 10:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              [Cardboard-Paintings-Meeting :142] トークショーの動画公開
              0

                (左から武盾一郎、山根康弘)
                On 2005年 6月 27日 , at 0:28 AM, Shin Izawa wrote:
                伊澤シンです。

                深瀬さん、武さんの許可がおりましたので、トークショーの動画を公開します。

                トークショー (320x240 15fps 278.9MB)
                http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0145.AVI

                それぞれ巨大なファイルですので、ブロードバンド環境でダウンロードしてください。
                動画は15fpsなので、カクカクですが、音声+おまけぐらいの感じで見てください。
                AVIですので、Windowsであれば、そのままWindows Media Player 9以降で見ることができます。
                MacであればVLCで見てください。

                VLC
                http://www.videolan.org/vlc/

                残念ながらQuickTimeでは観ることが出来ません。

                記録として、あるいはミーティングに出席できなかった方のご参考としてお役に立てれば光栄です。
                | 議事録・会合報告等 | 00:31 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
                [Cardboard-Paintings-Meeting :138] 制作ノート vol.2 入力終了と第3回会合訂正点
                0
                  On 2005年 6月 21日 , at 11:42 AM, Take Junichiro wrote:
                  制作ノート Vol.2 95年12月16日〜96年2月18日の入力が終わりました。

                  3回会合の話題のメインであった初期、96年1.24強制撤去までの一節が閲覧出来ます。
                  (武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘の三人による壁画工房スタイル期)

                  それから、第3回で強制撤去後、2.18に初めて新宿に戻ると解説していましたが、
                  よく見ると次の日、25日そして26日と新宿に出向いております。
                  24日間かけて描いていた「スイートホーム」という絵があったのですが、その家主(ケンさん)を探しに新宿に行ってます。

                  1月30日、TBSのカメラがくっついて来る形で、ケンさん含む住人達と一緒に都の巨大な倉庫(西口地下道を抜けたあたりにあるんです!これがすごい広いんです。恐らく一般市民の知らない巨大地下壕は他にも沢山あると思います)に荷物を取り返しに行きます。

                  絵もそこに保管されてましたが、その時、僕は「中に人が住んでいないと意味がない」という発言をし(このシーンはテレビで放映されたと思います。僕はVTRを持ってないのですが)、自分たちの絵は置き去りにして来ました。(よって半年間保管した後に都は廃棄)

                  そして、2月15日に段ボールハウス絵画制作を再開し、18日に再開第一作が完成します。

                  強制撤去後が話題となったので、段ボールハウス絵画とダンボール村の一般的なイメージは恐らくこれ以降の風景だと思われます。

                  そう言った意味では、前回の初期壁画スタイルの3人のコラボレーションの解説はかなりハードコアな会合だったと思います。

                  武盾一郎
                  | 議事録・会合報告等 | 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  [Cardboard-Paintings-Meeting :137] 第 3 回会合無事終了報告
                  0
                    On 2005年 6月 19日 , at 10:56 PM, Take Junichiro wrote:
                    6月18日(土)11:00〜(角筈地域センター)、第 3 回会合「アーティスト・トーク」無事終了致しました。
                    参加して頂いた方々、お疲れさまでした。
                    有難うございます。

                    クロッキーの下絵をマッティングして机にバーッと並べ、
                    山根康弘・武盾一郎が解説致しました。

                    12時過ぎに部屋を移動し和室で座談会を行いました。

                    絵画の内容や画法について二人が解説するのは初の試みだったのでちょっと緊張気味で解説しました。
                    無事おわってホッとしております。

                    議事録は桑田さんが制作することになりました。
                    どうか宜しくお願いします。

                    感想、質問などございましたらポスティングして下さいませ。

                    武盾一郎
                    | 議事録・会合報告等 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    第1回会合議事録「稲葉剛さんに聞く」
                    0
                      稲葉剛

                      作成:毛利嘉孝
                      開催日時:2005年4月30日(土)11:00〜15:00
                      場所:NPO法人自立生活サポートセンターもやい「こもれび荘」
                      タイトル:「稲葉剛さんに聞く」

                      Quick Time動画(深瀬鋭一郎撮影)(320x240 15fps 255.8MB)
                      http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/inabasan.mp4


                      新宿連絡会のメンバーであり、飯田橋のNPO法人自立生活サポートセンター・もやいの代表理事を務める稲葉剛さんは、武盾一郎が新宿のダンボールハウスに絵を描いていたときに、新宿連絡会で野宿者支援を行っていた主要メンバーのひとりである。今回は、新宿連絡会の立場から新宿の九〇年代とはなんだったのかを考えるために、4月30日(土)11時から、飯田橋にあるもやい事務所「こもれび荘」二階に集まり、稲葉さんの話をお伺いした。集まったのは17人。司会は武盾一郎。また当時西口地下道で野宿生活をしていた内藤幹雄さんも参加した。

                      以下稲葉さんの話(以下断りのない限り地の文は稲葉さんの話):

                       私は、1994年から1998年まで新宿連絡会として、新宿西口「ダンボール村」の野宿者の支援をしていました。新宿連絡会は、現在も新宿中央公園で炊き出しなどの支援活動を続けています。現在、都のホームレス対策は進んできていますが、野宿者が家を借りるにあたって保証人が必要であるとか、さまざまな問題を抱えているので、2001年からNPO法人自立生活サポートセンター・もやいを設立し、自立支援のための相談を行っています。

                       当時の状況については、97年から98年に発行された「ダンボール村通信」、現在も続いている「露宿」といった同人誌のほか、中村智志さんの『路上の夢』(講談社)、『ホームレスになった-大都会を漂う』(ちくま文庫)、『新宿ダンボール村:闘いの記録』新宿連絡会編(現代企画室)などが、参考になると思います。

                      こもれび荘1

                       私自身、ダンボール村に対して複雑な思いがあります。当時は「新宿の上祐」なんて呼ばれたりして(笑)、スポークスマンのような役割もしていたのですが、その後はあまり語ってきませんでした。98年に火災があり、四人の仲間を失ったこともあり、いまだにものが言えないような気がしていました。新宿連絡会では、路上のコミュニティを維持することに汲々としていて、コミュニティの内部の問題が見えていなかったとも思います。

                       ひとつの反省として、活動家があまりに語りすぎたというのがあります。ダンボール村を美化しすぎた面がありました。失業や倒産で追いやられた人々が、支えあって生きているということを強調しすぎたために、中にあるほんとうの問題を見てこなかったのではないか。そういう反省があります。先ほど紹介した「露宿」は野宿の人びとのそのまま寄稿してもらうことでできている雑誌で、支援者はあえて前面に出ないでいます。

                       少し順を追って、当時の状況を話してみたいと思います。

                      ボードに書く稲葉
                      (稲葉さん地図を白板に書く)

                      地下道マップ

                       1994年2月に、東京都が第一回目の野宿者の排除をしました。もともと時々お金がない時に野宿をしていた人はいたのですが、1991年に東京新都庁ができ、バブルがはじけると、野宿をすることが常態化する人々が増えてきます。最初の排除は、Dの場所に都が野宿者を排除しようとフェンスをつくります。そのことにより、野宿をしていた人々はBとEに移ります。

                       これに対して抗議活動をしたのが、新宿連絡会のきっかけになります。この抗議活動には大きく二つのグループが参加しました。ひとつは代々木公園のイラン人排除に反対をしていた「いのけん(渋谷・ 原宿 生命と権利をかちとる会)」、もうひとつは山谷地域で、日雇い労働者の労働運動をしていた山谷争議団です。

                       この頃なぜ新宿に野宿者が集まっていたのかというと、新宿に食べるものがあったからだと思います。「エサとり」という表現があります。「エサ」というのは、野宿者が自分たちが拾い集めて食べるものを自虐的に呼んだ言葉で、私はこの言葉を聞くといまでも複雑な気持ちになりますが、新宿は繁華街があり、残飯や売れ残った食べものがたくさん毎日でるので、野宿者にとって暮らしやすいというのが確かにあります。

                      <内藤>あと高田馬場西山公園にむかしは寄せ場があったので、大久保にドヤ街があった。今ラブホテルになっているのはドヤ街のあたりだよね。

                      内藤さん
                      (当時、西口地下道に野宿していた内藤さん)

                       1994年2月に大規模な排除を行なった後も、都は野宿者を定住化させないために、抜き打ちの撤去を続けます。当時、ダンボールハウスは「廃材」だというのが都の認識で、排除は「路上廃材撤去作業」と呼ばれていました。特に寒い時期に排除が行われたので「このままで殺される」という悲鳴が野宿者の中から起きるのもこの頃です。

                       当初、いのけんと山谷争議団は別々に支援活動を行なっていましたが、94年8月に合同して新宿連絡会を結成します。新宿連絡会としてはまず、東京都と新宿区とを切り離すような戦略をたてます。新宿区は、1980年のバス放火事件(当時の新宿西口で野宿をしていた人が、精神的に追い詰められた結果犯行に及んだという事件)以降、「環境浄化対策」という追い出しを行なっていたのですが、交渉の結果、「環境浄化対策」の「浄化」の語を取り除き、新宿区としてはホームレスを排除しないという確約を得ます。こうした経緯の中で、排除圧力が一時的に弱まり、B通路を中心に80件くらいのダンボールハウスが増えます。

                       支援を始めた当初、新宿連絡会としては炊き出しを行いませんでした。それは、このダンボール村に、お互いに助け合うコミュニティを発見したからです。炊き出しをすることによって、「与える」−「与えられる」という関係を固定化することを恐れたのです。最初に炊き出しを行ったのは、94年?95年の越冬闘争ですが、「みんなで作ってみんなで食べる」というスタイルにこだわりました。この頃には、300食の玉子かけご飯を準備していて、それで足りていたのですが、その後、野宿になる人が倍増し、ダンボールハウスも増加していきます。

                       95年に青島幸男が都知事に当選します。実は当初は青島には期待をしたのですが、すぐに幻滅に変わります。8月になると、動く歩道を13億かけて設置し、野宿者を排除しようという動きがあることが、内部告発によって発覚します。ただちに新宿連絡会は、反対キャンペーンをはじめ、新宿区から「対策なき排除には協力しない」という確認を得ます。また、この13億は宝くじ協会から受け取るというので、宝くじ協会に対して「福利厚生」を支援すべき協会が野宿者排除を支援するのはおかしいと抗議し、やはり、協力はしないとの回答をえます。この間都は話し合いに応じませんでした。

                      <武>ぼくが絵を描き始めるのはこの頃(95年8月)ですね。ちょうど排除へと向かう緊迫した所に飛び込んじゃったんですね。吸い寄せられたっていうか。

                       ところでこの頃、野宿をしている人に、自分はどう呼ばれたいのかと聞くと半分の人は「日雇労働者」と答えたんですね。残りは「野宿労働者」です。「ホームレス」というのはいませんでした。(内藤「外国語だからね」)当時のダンボール村にはいろんな人が野宿をしていました、ケンさんという人が有名で、自分の大きなハウスをサロンにして、みんなが集っていました。丸さんというダンボールハウス作りの名人もいました。

                       96年に1月24日強制排除があります。これも実は、2、3日前に内部情報で、そろそろありそうだ、というのはわかっていました。強制排除は、早朝、一般の通行人が来る前に行われました。

                       「玉砕だ」という声もあったのですが、最終的には守りきれないと思っていたので、事前に排除があったときにどのように対応するか相談をしていました。そこで、強制排除だれると予定どおり、インフォメ前(インフォーメーション・センター前)に移動しました。武さんの「新宿の左目」があった辺りです。ここには人が住まず、ちらし、ストーブなどのモノを置いていました。(<武>もともと二階建てにするはずだったんですよね。)いや、それはなかったと思います(笑)。この時に連絡会の笠井さんと本田さんが逮捕され、9ヶ月拘留されます。
                       インフォメ前は、狭かったのですが、通行人が多い場所でした。96年1月から98年1月まで武さんがここで絵を描きます。

                       96年8月に行われた新宿夏まつりは、盛大なものでした。大工哲弘が来たということもあって若い人が集まりました。翌97年のソウルフラワーもののけサミットが来て、若者が来すぎてしまって、野宿の人が追いやられる感じになってしまいました。「オレたちの祭りなのになんだ」という声も野宿者からはあり、音楽班と新宿連絡会の間に摩擦もありました。兼ね合いが難しかったイベントでした。

                      <内藤>今は大丈夫じゃないかな。若い人(のホームレス)も増えてきたしね。

                       この時期は、少し状況が明るくなる頃です。97年3月に、強制排除の時に逮捕された二人について無罪判決がでます。ダンボールハウスは所有物であり、排除にはそれ相応の理由が必要とされたのです。もっとも、この判決はのちに、高裁、最高裁でひっくりかえってしまいます。

                       97年10月に、連絡会が正式に交渉相手として認められて、都の間に話し合いがはじまります。この当時は、ダンボールハウスが増えていた時代で、住む人が決まっていなくても先にどんどん作っていました。ただ増えすぎて過密していたのも事実です。

                       今反省することは、この間に自治的な活動ができていなかったというのがあります。たとえば、やくざ的な人がいて、暴力で上下関係ができていたりしました。また弱い者イジメや搾取なんかもありました。この頃、ダンボール村をほんとうに守るべき価値があるのかという議論が内部ではありました。

                       そして、98年2月7日に、ダンボール村で大火災がおきます。これを未然に防ぐことができなかったということは、今でも悔やまれてなりません。この火事で50軒のダンボールハウスが焼け、4人が死亡します。うち二人は夫婦でした(内藤「厳密にはちがうよ」)。今思えば、外部の圧力から守ることにすべての力が奪われてしまっていて、コミュニティの質の問題に取り組めなかったという問題がありました。

                       その後2月14日に封鎖され、自主退去します。この頃にはすでに東京都と交渉の回路ができていたので、希望者約170人全員が一時的に施設に入り、希望しない約30人は新宿中央公園に移動して、テント村を作り始めます。

                       以上が、ダンボール村のあらましです。


                      こもれび荘玄関

                      <武>撤去後、インフォ目前に段ボールハウスがグワーッと急増する。(段ボールハウスを)作っているそのようすが、一種の風物誌になってた。けど、入る人が決まる前から作っているとは、知りませんでした(笑)。あんまり増えるんで絵が追いつかない。
                      96年7月に動く歩道が完成して、AとEの通路に3800万円かけたあの突起物(パブリックアート?)ができます。今はA通路にしかありませんが。(それがまたムカつくんですが)

                       96年8月に「都市博」に対抗して、B通路で「都恥博」をというのをやりました。

                      <岡井>青島都政が中止した「都市博」がらみですが、補償事業として企画され、1996年8月に東京ビッグサイトで開催された「アトピック・サイト」(正確には「oncamp/off base」展)という展覧会に田崎英明らとともに参加した際、同年1月の新宿西口通路での攻防にインスパイアされた作品を制作しました。

                      <武>(都恥博で)僕等は路上を占拠してライブペインティングしました。舞踏家の酒井敦さんも加わって。興奮冷めやらなかったのか、その直後、突起物に描いて逮捕されちゃうんですですね。
                      最初に描かせてもらったのは、Sさんという方のダンボールハウスです。最初はいろいろあたってもなかなか描かせてもらえなかったのですが、だんだん許容されるようになりました。そのうちに描いてくれ、と頼みに来る人も出て来ました。
                      ほかのダンボールハウスが全部描かれているので、ひとつだけ描いていないのは変だから描いてくれ、というのもありました。

                      <内藤>近くでみると何を描いているのかわからなかったけど、遠くからみると顔だとわかったな。

                      <質問>「連絡会は武さんの絵をどう思っていたのですか?」

                       笠井さんは、あまり好きじゃなかったようです(笑)。(<武>えー、ショック(笑))西口の地上に行くと昔ながらのダンボールハウスがあって、ホッとしたなんていっていましたから。ただ私たちとしては、武さんのような人も全部味方にしたい、というのがありました。排除圧力に常にさらされる中、アーティストも通行人も全部味方につけて、外部に対してアピールをしないと「勝てない」という意識は常に持っていました。

                       広く知らせるという目的があったので、メディアに書いてもらうためにファックスでメディアに情報を送ったりしていました。排除の日にはテレビ局のカメラが来ましたが、都がそのテレビカメラを排除しようとしたため、逆に都に対して批判的な報道が数多く流されました。その頃、遠藤大輔さんが新宿を撮影していました。

                      質問

                      <質問>「武さんの絵をアートとしてはどう思いましたか?」

                       アートとしては……よくわかりません。ただ、人が集まって「村」ができ、そこにアートが生まれる、ということは自然ななりゆきとして感じていました。

                      <質問>「支援者は何人くらいいましたか?」

                       支援者は入れ替わりもあったので、常時いる支援者は数人でした。新宿連絡会の主体はやはり野宿している人たちだったと思います。

                      <内藤>新宿連絡会として動くと食べものにありつけたからね(笑)。

                       新宿夏まつりは、寿と連動していました。寿は1週間、新宿は一日の祭りでした。ソウルフラワーの中川さんが来たときは、約1000人集まったのですが、少しテンポが早すぎたようです。

                      <武>ぼくにとっては、97年の夏祭りが、問題はあったかもしれないけど代表的なものだったと思ってます。スゴイ状態だったじゃないですか。いろんな人が出て、いろんな人が来て。個人的には大友良英さんと一緒にライブペインティング出来たし。

                       今年の夏祭りは、8月13日・14日の土、日に中央公園で行います。

                       98年に炊き出しが一時的に減りますが、その後、また増加に転じます。この頃からスーツ、ネクタイ姿の野宿者が見られるようになります。

                       昨年7月に地域生活移行支援事業が始まりました。これは公園にいる人たちを対象に都が始めた事業です。これは、月3000円で住宅を2年間供給して、最初の6ヶ月間は都が仕事を紹介するというものです。

                       反対する団体もありましたが、新宿連絡会としてはこれに協力することにしました。
                       もちろん当事者がどうするのか決めるというのが条件です。本人が希望すればテントに住み続けるのもかまわないのです。この結果、百数十軒あったテントハウスは、現在30軒くらいまで減少しました。その一方で公園管理者は、新たに野宿者が公園に流入するのを防ぐために、出て行った後はフェンスなどで囲い込みをしています。

                       現在都内の野宿者の数は、5000人から6000人と言われています。数はあまり変わっていません。ただ、日本で使われる「ホームレス」という語の定義には問題があります。本来、homelessとは、「権利として主張できる住居を持たない」という意味ですが、日本ではイコール野宿者という意味で使われてきました。最近の若者の場合、野宿をしても、短い期間で戻っていきます。ですが、その多くはアパートの立ち退きなどにあって、マンガ喫茶などで夜を過ごしており、本来の意味でのhomelessにあたります。そこで、携帯やメール、求人雑誌などで仕事を探して、飯場などに行っているのです。そういう意味で、「ホームレス問題」はこの社会の底辺で拡散してきていると言えます。

                      こもれび荘引き

                      <武>最後に、稲葉さんにとってあの段ボール村とは何だったんですか?

                       新宿ダンボール村をふりかえると、そこには人間が「むきだし」になったときの極端な二つの現象があったと思います。ひとつは、支えあう力で、もうひとつは蹴落とす力です。この両方が存在しました。けれども、私たちはユートピアを見すぎていたように思います。

                       私はイデオロギーで支援をしているのではありませんが、ダンボール村を見ていると「街というのはこうしてできていくんだなあ」という本来のあり方を見たように思いました。

                      <内藤>ひとりでいるよりはよかったからね。今思えば、案外楽しかった。お互いに苦しいことも分かり合っているという感じがあったよね。

                      2005.4.30.撮影:玉重佐和子
                      -------------------------------------------------

                      こもれび荘カフェ
                      (こもれび荘・1階カフェにて)

                      編集後記:
                      当時、同じ時間と空間を共有した稲葉さん。
                      あの、怒濤の時空の中で「違う風景を見ていた」ということも分かりました。
                      けど、なんていうか、「命を賭けて、『ユートピア』を夢想した」のは確かだったんだなあと思い返します。(take)
                      | 議事録・会合報告等 | 17:07 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |