2006.04.02 Sunday
[Cardboard-Paintings-Meeting :450] 小川てつオさんの mixi 書込み



On 2006年 4月 2日 , at 1:47 PM, Take Junichiro wrote:
武です。
代々木公園で暮している小川てつオさんよりミクシイに書込みがありました。
代々木公園も最近になってぐっと数が減り、10分の1くらいになっているそうです。
「エノアール」という物々交換カフェを行っています。
毎週火曜日には「いちむらみさこ」さん主催で「絵を描く会」を行っています。
恐らく今年の夏頃にはブルーテント村、及び、カフェなどは消えてしまうらしい、と小川てつオ氏はおっしゃってました。
小川氏の承諾を得て、文章を転載致します。
以下転載↓
こんにちは。小川てつオというものです。タケさんとは、たぶん駒場寮でチラリとお会いしたことがあったような気がします。もさくしゃで、本買いました。
本を読むと色んな思いがしました。(まだ読了してないですが)。ぼくは、現在代々木公園に住みながら、テント前で、物々交換のCAFEを開いています。週に一度は、テント在住の市村さんという人が主催で、絵を描く会をしています。絵を描く会は、まわりの住人や友人らで、集って絵を描くというものです。CAFEには、その絵を飾っています。半年前は、350人くらいいた住人もいまでは、30人くらいでしょうか。再整備工事により追い出されることも近々予想されます。自分の状況と引き寄せつつ共感したりちがいを感じたり。
ダンボール村が「村」「自治区」「王国」であったように、やはり代々木テント村も同様でした。それを存分に呼吸できたことは、自分にとって本当に愉快でわくわくすることでした。新宿では、ダンボールであったハウスが、代々木では、木材とブルーシートで作られた家(屋根があり床をあげ、玄関あり、出窓や網戸もある、というのがスタンダード)にまで発展した、見方によるだろうけど、それはぼくは達成だな、と感慨を持ちました。また、新宿、通路、気質や野宿者の置かれた状況など、代々木とは異なる点もあると思いました。それが、おそらく、タケさんたちのやられたことと、ぼくたちがやっていることの違いにも影響しているな、と。新宿地下は切迫感がありましたが、代々木はなんかそれよりのんびりしていたと思います。あと、自分のことですが、新宿の時は、友人で一緒にバンドしていた児島さんがビデオカメラを片手に住み込んだり、映画を作ろうとしていたのに、ぼくはあんまり興味がなかったのがどうしてなのか、と現在やっていることを考えても、自分でも不思議だな、と思いました。
支援団体の方が、本の中で、ダンボール村の質のこと、それが変化していった、後半で「村を守る価値があるのか」という議論まで出たと述べられていて、その言葉が印象に残りました。ちょっとよっぽどの言葉だな、と感じて。おそらくしきりの問題や暴力の問題と想像しますが、その変化や通り過ぎてしまった問題についてのことをもっと詳しく知りたいなと思いました。それは、やはり、代々木でも切実になる時があったので。また、写真家の女性の方が、女性がいてもセクハラや、被害に会うことは、なかったともあって、それは「質」のことと大きく関係していると思ったのですが、それも印象に残りました。(代々木では、住人の女性だけが集ってのティパーティが月一回開かれています)。印象に残っているといえば、絵を描いていた人たちの年齢の若さ。あと、リクエストは聞かない、という制作態度。ぼくは、その当時、ダンボールに描かれた絵を正直それほど好きになれないなぁ、と感じていたと記憶しています。それもなんでだろう?と思いますが。住んでいる人は、家に描かれたこの絵がすきなのかなぁ、という思いもあったと思います。住人の方が、自ら描かれた富士山の絵が載っていましたが、それは、何かホッとするものでした。(絵柄というより、自分の家を飾るという意識が感じられて)。でも、おそらく、そういうことを承知の上で、それをぶち破るような、若さや、雰囲気や、切迫、があったのだろうな、とも思います。だから、なんかそこが面白いなぁ、とも思います。
ぼくたちの住んでいるテント、エノアールCAFE、は5月くらいで閉める予定です。往時のテント村の雰囲気は失われてしまいましたが、なくなる前に、このコミュニティの方々、ぜひ遊びに来てくださいね。
うーん、ながくなってしまいました。大変失礼しました。
以上