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新宿区ダンボール絵画研究会

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第4回会合議事録「写真家・迫川尚子の視点 〜私が新宿地下道を撮った理由」
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    迫川尚子

    開催日時:2005年7月16日(土)13:00〜15:30
    場所:新宿区 柏木地域センター
    タイトル:「写真家・迫川尚子の視点 〜私が新宿地下道を撮った理由」
    出演:迫川尚子、武盾一郎、深瀬鋭一郎

    参加者:池上善彦、伊澤伸、今澤晴佳、小林純子、澤登丈夫、関根正幸、田原伸、玉重佐知子、土屋トカチ、寺西麻紀、長澤洋平、野口智美、波多秀晃、原島康晴、竹田郁、毛利嘉孝
    打合せのみ参加:氏家茂将
    議事録作成:寺西麻紀
    ビデオ撮影:伊澤伸、土屋トカチ
    写真撮影:伊澤伸、関根正幸、澤登丈夫
    ※文中敬称略

    avi動画(伊澤伸撮影)
    「写真家・迫川尚子の視点 〜私が新宿地下道を撮った理由」(320x240 15fps 333.15MB)
    http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0171.AVI

    質疑応答 (320x240 15fps 74.26MB)
    http://deadbeef.is-a-geek.net/movies/CIMG0173.AVI

    ----------------------------------------------------------------------

    ■迫川尚子と新宿ダンボール村との出会い

    迫川:私は1990年頃、現代写真研究所という四谷三丁目の写真学校に通っていました。浅草での自由撮影授業の時、場外馬券売り場の前に座っていたおじいさんを撮らせて頂きました。その方に「私みたいのを撮りたいのだったら山谷に行きなさい」と言われたんです。調べたところ、日雇い労働者がねとまりするドヤ(宿)のある街でした。その後、私はカメラをバックにしのばせ、山谷ヘ行きましたが、道ばたに人が寝ていて、私がそれまで目にした街とは明らかに雰囲気が違っていました。結局一回もシャッターが押せなかったのです。そのことが心に残っていました。1996年1月24日の早朝のTVで、東京都が新宿駅西口地下通路に動く歩道を造るため、そこに住んでいる日雇い労働者を強制的に排除する、というニュースが流れました。すぐに現場に行きました。私は新宿駅東口にあるベルクというカフェの副店長をしています。新宿西口地下通路は歩いて3分くらいの場所であり、その日から毎日ダンボール村に通い、村が無くなるまで撮影をしました。



    {写真・魚の絵}

    武:この写真は強制撤去の前ですね。

    迫川:おそらくわたしが初めてダンボール絵画を撮った写真です。

    武:この絵がまさしく一作目なんです。強制撤去の時に持って行かれました。

    {写真・1.24の広場}

    迫川:強制撤去された直後の写真です。ちょっと異様な雰囲気です。

    {写真・スイートホーム}

    迫川:これが「スイートホーム」という絵ですね。

    武:これは1.24(1996年1月24日)の強制撤去で一旦撤去されました。都の地下倉庫に撤去物が保管されたのですが、それらを取りに行ける事になりまして、オッチャン達がそこから持ち出し、またダンボール村に返り咲いた作品です。写真に写っているのは一部なんですが、もともとはもっと大きくて、裏側はオッチャン達のサロンになっていました。置かれていた場所は、B通路の新宿駅から都庁までの丁度真ん中でした。1.24の強制撤去の時、(B通路の)両サイドから撤去されていったので最後に撤去されたものです。強制撤去直前にホームレスもマスコミも排除されていて、俺たち三人だけの状態がありました。丁度その絵を書き終わり、タケ、タケヲ、ヤマネ三人で「これでいいね」と完成の確認をした瞬間、バーッと回収されました。

    迫川:そのとき私は通路外側の最前列にいました。まわりに警備の人達がいて、ホームレス達はインフォメーション前まで、ずーっと電車ごっこみたいにつながって(ジグザグデモ)歩いていました。

    迫川:(それから2年間、ダンボール村の写真を撮り続けたのですが)最初は写真を撮るのに勇気が要りました。とにかく毎日通いました。そしたら住人のSさんが声を掛けてくれて話をしたところ、ダンボールハウスに住むOさんを紹介してくれました。

    武:それまで(紹介されるまで)は写真撮らなかったんだ?

    迫川:いいえ。1.24当日は撮りまくりました。その後はマスコミと同じ撮り方はしたくなくて。だから、(普通は目立たないように黒い服やジーンズを着用している報道カメラマンとは)逆に、目立つように真っ赤なコートにカメラを2〜3台ぶら下げて歩いていました。

    深瀬:迫川さんの写真は報道写真とは違い、客体に惹き入れられて撮った写真といえます。客体に対するまなざしを感じます。Pさんがフライデーに載せたような報道写真とは全く違い、商業アーティストがあおって撮るといった手法とも違います。ですから仕上がりとして、「日計り」のようなストレートフォトの写真集に入れると座りが良い。どうして人や場所に執着して撮るのでしょうか?

    迫川:私の性格でしょうね。興味を持ったらずんずん入っていくという。


    ■ホームレスにも絵師がいた

    {写真・富士山}

    迫川:この富士山はOさんが描いたんです。

    深瀬:Oさんや他の居住者も絵を描くようになりましたね。

    迫川:絵師として名を連ねてもおかしくないですね。

    武:僕らが絵を描いているのを見てOさんも絵を描き出したんです。それらの絵が凄く良くて、オッチャン達に「あんちゃん、形無しだなあ!」って言われちゃいました。(笑)


    ■路上写真展の原点

    迫川:ダンボール村を撮るようになって、住んでいる彼等が「自分たちは撮られるだけで、その写真がどうなってるのか知らない」と言っていたんです。それを聞いて、撮った写真を全部焼いてその人に渡すようにしていました。それをダンボールハウスに貼ってくれて。すごい嬉しかった!

    武:路上写真展の原点ですね。


    ■迫川尚子と武盾一郎の出会い

    {写真・武さん}

    迫川: Oさんと武さんのコラボレーションです。

    武:Oさんは僕が(器物損壊で)警察に捕まった時、(僕を捕まえようとした警察官の足元に)バケツの水を投げて公務執行妨害で一緒に捕まったんです。

    迫川:あの大人しいOさんがバケツの水を投げるなんて。びっくりしました。


    ■ダンボール絵画が初めて売れた

    迫川:この人(写真・ハウスの人)は若いです。24歳くらいでした。

    武:彼が住んでいたダンボールハウスの扉に絵を描いたのですが、ある日行ったらその扉がない。彼に聞いてみるとイタリア人が絵を気に入って買い上げたとのこと。その売り上げ半分を僕にくれたんです。だから彼が画商で、僕が売り絵師ですね(笑)


    ■武盾一郎拘置中

    {写真・タケヲさん}

    迫川:タケヲさんが描いている写真です。この頃武さんは警察に捕まっているんですよね。ひとり黙々と堪え忍んで描いています。

    武:96年8月下旬、突起物にハニワを被せて逃げました。その後迫川さんに電話してどうなっているか聞いたんです。そしたら10分もしないで撤去されたと聞いて、戻って突起物に落書きして捕まったんです。迫川さんに電話が通じなかったら捕まりませんでした。(笑)

    迫川:「戻ってくるな」って言ったのに、戻ってきたんだよね。(笑)

    武:あ、そうか。(笑)


    ■ダンボールハウスの建築

    {写真・ハウス造り}

    迫川:この人がダンボールハウス造り名人のクマさん。

    武:彼は元自衛隊員で手先が器用でした。Iさんの作戦に従って、居住者がいなくてもダンボールハウスをどんどん造ってもらいました。

    参加者:新しい人は「入れて」と言って、入ってくるのですか?

    迫川:いつのまにかそこに住みついちゃってる。

    武:大体ホームレスの新入りは「マグロ」(身ぐるみを剥がされること)にされるんだよね。コミュニティにもよりますが。

    迫川:私は(ダンボール村の)手前側の人達とよく話をしていましたが、彼等は「奥に行くと危ないよ」とか、いろいろアドバイスしてくれました。


    ■路上書店の発生

    {写真・本屋さん}

    迫川:路上本屋さんです。写真の店が路上100円本屋の始まりでしょう。

    武:世界初の自立発生の本屋でしょうね。

    迫川:サラリーマンがよく買っていくので儲かると言ってました。

    武:どういう段取りかは分かりませんが、資本主義が入ってきたんですよね。その後、コミュニティ自体は(経済的に)豊かになりますが、闇の部分も孕んでくるから、治安が悪くなっていきました。


    ■ダンボール村の最盛期

    {写真・お面}

    迫川:これは「日計り」にも載っています。ダンボール村が一番賑わっていた頃の写真です。これは(モノクロだけでなく)カラーでも撮影しています。

    武:オッチャン達、いい顔してます。

    迫川:この頃、地下通路には、昼の12時になると何故か「君が代」が流れたのです。それを聞くと、写真の彼は「アメリカ兵に売られていったイトコのねーちゃんを思い出すんだ。俺は何も出来なかった」と言ってうずくまってしまうんです。

    武:優しい人だったけど、ナイフを持ってうろうろしていましたね。

    迫川:マスコミの取材の人がお酒を手土産に持ってくるんで、そうすると普段飲まない人まで飲んでしまうんです。そして宴会になるんです。それを写真に撮って(新聞、雑誌に)掲載するんです。「あんまり飲まない方がいいよ」と言ってたら私も写真に撮られました。

    深瀬:ダンボールハウスの居住者には女性もいましたね、あとカップルとか親子も。

    武:最初の一軒目のダンボールハウスに住んでいた親分のSさんには22〜3歳の娘さんがいました。血はつながってないと言っていました。絵を描いている時、うしろで親分が悩んでいて、「うちの娘も嫁に出さんといかんなあ。なにせ箱入り娘だからなあ。」「そりゃそうだ。ヒャッヒャッヒャー!」って聞こえるんですよ(笑)


    ■猫の存在

    {写真・ロクさんと猫}

    迫川:この写真は「ホームレスが猫なんか飼うな」と通行人に言われ泣いているところです。

    武:猫が殺伐とした状況のコミュニティで唯一の潤滑油でしたね。

    参加者:女子高生とかが猫かわいさにマックでハンバーガーとか買ってきてくれたりしていいコミュニケーションツールにもなりましたね(笑)

    武:西口は猫派でしたね。(笑)


    ■ダンボール絵画の始めと終わり──Sさんとの出会いと別れ

    {写真・新宿の寅さん}

    迫川:彼がSさん。武さんが最初に描かせてもらったのが彼なんですよね?誰かに紹介されたんですか?

    武:いえ、全く。偶然最初に絵を描かせてくれるよう交渉したのが親分だったんです。「パスパス」って扉をノックしたら、この顔がヌッと出てきた。親分は、僕が(突起物に落書きして)6人くらいの警察官に押さえ込まれた時に、身を挺して僕をかばってくれました。

    迫川:2.14(最終的にダンボール村が消滅した1998年2月14日)は、みんな荷物を片付けて、ダンボールハウスも行政側に片付けられて、Sさんはひとりで壁にもたれかかっていました。片付けないのと聞くと「俺は行くとこないからな」。その時にこの写真を撮らせてもらいました。最後に彼をちゃんと撮ることが出来たんです。その後、彼は中央公園に住んでいたんですが、爆発事件に巻き込まれて右手と右足を失ってしまったそうです。Iさんからの情報によると茨城の病院に入院していたそうです。

    深瀬:武さんにとっては最初の人で、迫川さんにとって最後の人。とても印象深いですね。

    迫川:一番最初は、小ガード下の壁に描こうとして新宿に来たんですよね?で、ガード下で描けなくて。

    武:そうですね。

    参加者:そこにはダンボールはなかった?

    武:なかったですねえ。描けなくて西口の方にふらふらと。

    参加者:グラフティのノリで描こうと思ってたんですか?

    深瀬:前回の研究会で回覧したエスキースの中に、ガード下に描こうとした絵のラフ・スケッチがありました。それを見ると壁画のようでしたね。

    武:スプレー系はいやで、筆でやりたかったんです。

    迫川:ダンボールハウスに絵を描いたというところに決定的なものがありますね。

    武:なぜダンボールに描こうと思ったかは分かりません。


    ■ダンボール村消滅


    {写真・広場}

    迫川: 2.14の最後の写真のひとつですね。

    {写真・最後の広場}

    武:ほかのものは(先に撤去されてしまって、既に存在し)ないのに、何故か「新宿の左目」はあるんです。

    迫川:1.24では「スイートホーム」が最後で、2.14では「新宿の左目」が最後。

    深瀬:代表作が最後まで残される。いろいろドラマがありますね。

    武:映画化して貰おうか、誰かに。(笑)

    {写真・通路}

    武:オッチャン達はこの植え込みの内側に住んでいたんだけど、僕は絵を見せたいから、その植え込みをズラしちゃってました。

    {写真・夜の広場}

    迫川:1.24の強制撤去後はとても寒い時期だったので、ダンボールハウスができるまで西口広場をビニールで覆って夜を過ごしていました。でも通行人に頭を蹴られたり煙草を投げ入れられるから、若い人が外側で、年取った方がその内側に寝ていました。寒かったけど熱かったです。その後もいろいろな運動がありました。ホームレスの作文やアンケートを纏めて、数人のホームレスとボランティア、お医者さんとで都庁に行ったこともあります。


    ■後日談

    迫川:ベルクは珈琲210円、生ビール315円と手頃な値段なので、今でもダンボール村に住んでいた方々が、遊びに来てくれます。すごくうれしいですね。


    ■質疑応答



    武:何かに発表しようとは思っていたの?

    迫川:ベルクではやろうと思っていました。他のギャラリーでは断られるかもしれないけどベルクでは出来ると。


    参加者:写真を撮り始めて変わったことはありますか?

    迫川:彼等と話をすることで彼等をむやみに怖がらなくなりました。ベルクの前で寝ていても「もう時間ですよ」とか「ルール守ろうね」という言葉が言えるようになりました。以前でしたら警察を呼んでいたかも。


    参加者:新宿は、どういう場所ですか?

    迫川:新宿だからこそベルクをやろうと思いました。新宿を知っちゃうとはまっちゃって。あの頃は、ダンボール村そのものが新宿だったんです。新宿に会いに行くという気持ちでダンボール村に通っていました。おじさん達はばらばらになっちゃったけどベルクに来てくれるので、今ではベルクが新宿になったかな、なんて(笑)


    武:新宿以外でも撮っていますか?

    迫川:年に2日だけ休みがあるんです。その時に旅行に行って、その街を撮ったりします。だけどいつも新宿を意識していて、その方向を眺めちゃったりします(笑)


    武:またそういうダンボール村が発生したら行きますか?

    迫川:行きますね。


    参加者:モノクロで撮るか、カラーで撮るか、決めていますか?

    迫川:欲張りなので両方です。デジカメも今実験しています。だけどモノクロは自分で焼きをコントロール出来るのでいいですね。今度カラーも焼いてみたいのですが。


    参加者:意識している写真家はいますか?

    迫川:いますが、とにかくいろいろな写真を見るのが好きです。何か発見はないかと。それを探すのが好きです。


    参加者:モノクロかカラーか分けるポイントは?

    迫川:光の感じで撮り分けています。色は元々好きで、以前は絵を描いたり、テキスタイル・デザインをしていた時期がありました。


    参加者:作品として撮っているのですか、社会情勢の記録のために撮っているのですか?

    迫川:私の気持ちですよね?実は私の中でも揺れ動いています。3つの自分がいると思います。商店主としての自分。ベルクをやっているので店側の気持ちも分かります。写真家の自分。ひとりの個人としての自分。何に突き動かされて撮っているのか。いつも葛藤はありました。3つの自分の対応がそれぞれ違うんです。実際、火事の時もある程度撮ったら、あとは片付けを手伝ったり。私の写真の繋がりは「日計り」もそうですが、とにかく気になることを撮ったという。

    武:絵師の自分としては、(ダンボール絵画が)やがて消えていくことは分かってやっていましたので、記録しようと思ってなかったです。しかし、こうやって残っているからこそ再度検証出来ることは有り難いことです。

    迫川:もともとシャッターを押す感触が好きだったんです。だからカメラを持っていたような所はあります。そのカメラが私をダンボール村まで連れていってくれました。もちろんカメラのせいだけには出来ませんが、カメラがなかったらあそこまで足を踏み入れられなかったでしょうね。




    サコQ

    以上
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