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新宿区ダンボール絵画研究会

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新宿西口地下街 ダンボールハウス 絵師達の年譜
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    新宿西口地下街 ダンボールハウス 絵師達の年譜
    武盾一郎日記(1995 年10 月24 日〜 1998 年3 月1 日部分)などから構成

    1986(昭和61)年 3 月3 日
    埼京線が新宿まで延長。当時、埼玉県上尾市に住んでいた武盾一郎(武イチコ)と吉崎妙子(吉崎タケヲ)、埼玉県浦和市に住んでいた山根康弘が、ダンボールハウス絵画を描くため毎日新宿に通う手段が整備された。

    1989(平成元)年  12 月29 日
    日経平均株価はこの日の終値最高値38,915 円87 銭を付けたのをピークに下落に転じる。翌3 月の大蔵省通達「土地関連融資の抑制について」(いわゆる総量規制)により、 地価も1991 年から下落に転じ、いわゆるバブル経済が崩壊する。

    1991(平成3)年  3 月
    バブル経済の最中に日本一の超高層ビルとして計画され、バベルの塔ならぬ「バブルの塔」と揶揄された東京都本庁舎(西新宿2丁目8番1号)が竣工。JR 新宿駅西口から徒歩10 分以上かかるアクセス を改善するため、地下通路に「動く歩道」の建設が構想される。

    1994(平成6)年〜
    不況の影響で仕事にあぶれた日雇い建設労働者や失業者が新宿地下通路等に流入し、路上生活者が急増。東京都本庁者へ向かう西口地下通路、インフォメーションセンター前広場、京王新線地下道などにダンボールハウスが次々に建設された。

    1994(平成6)年  12 月28 日
    増加した路上生活者により、炊き出しなどの第1 回「新宿越年闘争」が行われる。以降、毎年の年末始に行われる。

    1995(平成7)年  8 月14 日
    武盾一郎、「新宿の寅さん」(注)と呼ばれたダンボールハウス居住者S 氏の許可を得て、吉崎妙子と共同で初のダンボールハウス絵画を描く。

    (注)渥美清主演の喜劇映画シリーズ「男はつらいよ」(1969 〜1997 年製作、松竹)の主人公「フーテンの寅さん」をもじったあだ名。家出して新宿の駅前広場や地下通路などにたむろし、奇抜な服装やシンナー遊びで世間の視聴を集めた若者たちが「フーテン(瘋癲)」と呼ばれた。

    8 月
    太田倫美、上條久美子、ダンボールハウス絵画製作に数日参加。武陽子(武盾一郎の妹)も1 日だけ参加。太田倫美、初期のダンボールハウス絵画作品の写真を撮影。

    9 月4 日
    彩光舎美術研究所(埼玉県さいたま市)で武盾一郎と吉崎妙子と学友であった山根康弘がダンボールハウス絵画制作に加わる。武盾一郎、吉崎妙子、山根康弘はコラボレーション・グループ「無×一色創庫」を結成し、共同制作を開始。

    9 月
    ダンボールハウス絵画の代表作とも言える「新宿の左目」制作(武・吉崎・山根合作、武のエスキース帖には13 作目と記載)。宮下芳子作品「新宿の目」(スバルビル地下1階壁 面)が右目の形をしていることに着目して、西口地下ロータリーをはさんでその反対側にあったダンボール製倉庫に「新宿の左目」を描いたもの。

    1996(平成8)年1月
    迫川尚子、ダンボールハウス絵画の撮影を開始、1998年2月14日の自主撤去まで撮影し続ける。

    1 月24 日
    「動く歩道」建設準備のため、地下通路のダンボールハウスが東京都により強制撤去される。B 通路の代表作と言える「スイートホーム」はこの日完成するとともに撤去され た。山根康弘が制作を辞め、「無×一色創庫」は武盾一郎と吉崎妙子の2名によるコラボレーションに移行。強制撤去後、新たに建設されたダンボールハウスは地下広場(通称インフォメーション前広場)に集中し、いわゆる「ダンボール村」となる。

    6 月〜 7 月
    地下通路に「オブジェ」(突起物)と「動く歩道」が完成。

    8 月 7 日
    鷹野依登久、単独でダンボールハウスに絵を描き始める。その後、1カ月程度描き続ける。(注)江森晴彦も8月中に1 日だけ参加。

    8 月17 日
    武盾一郎、新宿中央公園で行われた第3 回新宿夏まつりのステージ絵を制作。

    8 月19 日
    武盾一郎、地下通路の「オブジェ」に顔を描き逮捕。22 日間拘留される。

    『東京ジャーナルのインタビューで都は「あれは道の外観を良くするオブジェである」とヌケヌケと答えているし、新聞では「ホームレスが住めないようにする為の措置」と思わず本音を答えている。どっちにしてもかなりムカついた。そんなら東京都の意向に合わせて外観をもっと楽しくしてやろう、と突起物に巨大な埴輪(「タケヲ」が1ヶ月かけて作った)を被せ、東京都の意向に合わせて、そこにダンボールハウスが置けなくしてやった。そしたら10 分も経たないうちに撤去しやがった。頭に来たのでもう一度そ こに出向いて突
    起物に「顔」を描いてやった。』(武盾一郎)

    1997(平成9)年 2 月2 日
    武盾一郎と吉崎妙子がコラボレーションを解消。以降、1998 年のダンボール村消滅まで別々に描き続ける。

    8 月17 日
    新宿中央公園で第4 回新宿夏まつりが行われ、約2 千人が集まり過去最大級の夏まつりとなる。武盾一郎と鷹野依登久がオブスキュア・ギャラリー(東京大学駒場寮内)で制作した巨大ダンボール絵画をステージ絵に使用。武盾一郎、大友良英プロジェクトの演奏をバックにライブ・ペインティングを実施。

    1998(平成10)年 1 月16 日
    武盾一郎、ジャーナリスト コリーヌ・ブレの勧めに従い、新宿での制作を中断し、下中島公園テント村「しんげんち」(神戸市須磨区)に移住。以降、「しんげんち」にて制作。

    2 月7 日
    ダンボール村で大火災、4 名が死亡。

    2 月14 日
    新宿連絡会が自主撤去してダンボール村は消滅。居住者は新宿中央公園などに移動。

    8 月16日
    武盾一郎、新宿中央公園の第5回新宿夏まつりのステージ上で終日ライブ・ペインティングを実施。



    年譜PDF


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