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[Cardboard-Paintings-Meeting :108] 高橋信也さんからお便り頂きました。
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    On 2005年 5月 10日 , at 0:08 AM, Take Junichiro wrote:
    森美術館の高橋信也さんからお便り頂きました。
    話題になっていた「アート/非アートの境界」について触れられてましたので紹介いたします。
    武様

    気になったことを、少し書いてみます。

    1.まず、「アートの境界」といったことですが…

     美学の最初の段階で語られることに、「礼拝価値」と「鑑賞価値」ということがあります。同じ仏像でも、信仰の対象とされたときに生じるのは「礼拝価値」であるわけですが、その仏像が信仰と切り離されて、鑑賞上の事物としておかれた場合生じる価値が、「鑑賞価値」ということになります。
     いずれにしても対象である当の仏像に変化はないわけですが、別な象徴体系、別な価値観で捉えられるということですね。
     「鑑賞価値」をベースに生じている視る、視られるという行為、またそうした視覚表現を軸にした様々な思考や意見、事柄の流れを、一旦、「アート」もしくは「アート」界と呼んでいるわけですね。
     ここんところは、一旦、あくまで一旦ですが、はっきりさせておく必要があると思います。

    2.次に、20世紀美術の原器と呼ばれるマルセル・デュシャンの有名な逸話ですが…

     1917年、デュシャンはニューヨークのアンデパンダン展に、逆さまにした男性用の小便器を「泉」と題名を付けて出品しました。アンデパンダンと言うからには自由出品が原則だったにもかかわらず、この作品は即刻撤去されました。有名な「リチャード・マット事件」です。
     常識的に考えて、撤去の理由は二つ考えられます。
      
      1)便器を公然と展示することが、不道徳的で、卑俗であること。
      2)単なる便器そのものであり、作品とは認めがたい。

     逆に言えば、デュシャンは、まさにこの2つの点について、この作品を通して主張したのだともいえます。
     まず、1)不道徳的で卑俗なものも「アート」足りうること。
     2)前項の流れでいえば、日常の役割を剥奪されて、「鑑賞」上のコンテクストに置かれた事物は、レディメードであっても「アート」足りうる、という点です。
     世はまさにキュビスム全盛の頃で、球体と円錐で事物を捉える表現がトレンドの時代です。誰もがこの「便器」を、どう「アート」として認めて良いのかわからない、というのが、正直なところだったのかもしれません。

     もう少し具体的にいえば、デュシャンはここで「アート」とは視覚の問題や技術の問題ではなく、認識の問題であり、相対的なことであることを明らかにしています。
     つまり、「あなた方にとってのアートはキュビスムかもしれないが、私にとっては[泉]こそアートであり、つまりアートとは概念の問題であり、相対的な認識の問題である」というわけです。
     結果、撤去された便器は20世紀を代表する作品として歴史に名を残しました。
    「網膜」ではなく、「認識」に働きかけることがアートなのである、という、まさに20世紀美術に支配的なコンセプチュアル・アートの公式を宣言したエピソードです。

    もちろん、いうまでもなくこれもひとつの立場で、コンセプチュアルな読み込みを拒絶する表現も数多くあるし、ハイブリッドした(両義的)立ち位置で発表している作家もいます。
    現在では、美術言語のひとつとして、ま、何というか普通に応用されていることなんですが。

    3.もう一点、

     20年ほど前、「ロシア・アヴァンギャルド」が世界のアート界のトレンドになったことがありました。
    「ロシア・アヴァンギャルド」運動は、ロシア革命前後にソヴィエトロシアで展開された革命芸術運動で、1910年代から始まり1920年代後半には党の方針によって、方向が変えられていった運動の総称です。80年代まで実体のよくわからなかった運動の全容が、ペレストロイカの流れの中で、次第に西側でも明らかになりつつあり、それまで語られていたより、遙かに奥行きのある、幅の広い芸術運動であったことが明らかになりました。運動の内容については省略しますが…。

    そんな中で、日本でもようやく「ロシア・アヴァンギャルド」の大規模な展覧会が行われることになり、当時、私が関わっていた美術館も開催に伴って、マレーヴィチのオペラ「太陽の征服」と呼ばれる革命オペラの再現上演を試みることになりました。
    このオペラは美術史上初めて抽象表現が現れたといわれている、ま、記念碑的なものなわけですね。完全な台本の原本を入手する事から始まって、マレーヴィチの意匠の再現、音楽の再現などを行ったわけですが、演出を、劇団俳優座を設立した演出家・千田是也氏に依頼することにしました。(実は私自身が、そのプロデュースをしていたわけですが)
    というのも千田さんは戦前のドイツに渡欧していて、コミンテルンドイツ支部の青年部で活動していたくらいの人で、当時の政治的熱気や政治的演劇の特徴を十分に体験してきた人であるから相応しいと判断したのでした。

    そのプロセスで、千田さんと様々な会話を交わすうち、私にとっては、とても意外で、「目からウロコ」の発言を聞くことになりました。
    勿論私は、そのオペラの存在やアヴァンギャルドの作品群はロシア革命に至る運動と不可分な中で生みだされたと思いこんでいたわけですが、千田さんによると、それらは「芸術的前衛かもしれないが、政治的前衛とはあんまり関係ないね」と言うことでした。というのも「ボルシェヴィキは本物の革命で忙しくて、芸術なんかに関わっている暇なんかなかったからね」ということでした。

    考えてみりゃ、そりゃそうだ!なんですけどね。

    ながくなりそうなので、この辺で。また続きを書きます。
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