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新宿区ダンボール絵画研究会

cardboard-paintings-meeting
「ダンボールに描く夢」展 会場案内図
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    会場案内図

    ダウンロード(PDF)
    | ビラ・資料等配布物 | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    シンポジウム出演者プロフィール
    0
      On 2005年 10月 7日 , at 2:28 AM, Takaaki Hanasaka wrote:
      花坂です。

      遅れておりました、
      10/8・9・10開催のシンポジウム・プロフィール
      が出来上がりました。(A4判 1/0色 上質紙?)

      PDFデータでお送りいたします。出演・出席される皆様
      ご確認いただきますようよろしくお願いいたします。


      シンポジウム出演者プロフィール

      ダウンロード(PDF)
      | ビラ・資料等配布物 | 10:36 | comments(0) | trackbacks(4) | - | - |
      エコギャラリー新宿展パンフレット
      0
        On 2005年 9月 15日 , at 9:39 AM, Take Junichiro wrote:
        パンフレットアップしておきました。
        PDFファイルです。


        エコギャラリーパンフ表
        http://cardboard-house-painting.jp/danken/pam_omote.pdf


        エコギャラリーパンフ裏
        http://cardboard-house-painting.jp/danken/pam_ura.pdf


        | ビラ・資料等配布物 | 09:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        新宿西口地下街 ダンボールハウス 絵師達の年譜
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          新宿西口地下街 ダンボールハウス 絵師達の年譜
          武盾一郎日記(1995 年10 月24 日〜 1998 年3 月1 日部分)などから構成

          1986(昭和61)年 3 月3 日
          埼京線が新宿まで延長。当時、埼玉県上尾市に住んでいた武盾一郎(武イチコ)と吉崎妙子(吉崎タケヲ)、埼玉県浦和市に住んでいた山根康弘が、ダンボールハウス絵画を描くため毎日新宿に通う手段が整備された。

          1989(平成元)年  12 月29 日
          日経平均株価はこの日の終値最高値38,915 円87 銭を付けたのをピークに下落に転じる。翌3 月の大蔵省通達「土地関連融資の抑制について」(いわゆる総量規制)により、 地価も1991 年から下落に転じ、いわゆるバブル経済が崩壊する。

          1991(平成3)年  3 月
          バブル経済の最中に日本一の超高層ビルとして計画され、バベルの塔ならぬ「バブルの塔」と揶揄された東京都本庁舎(西新宿2丁目8番1号)が竣工。JR 新宿駅西口から徒歩10 分以上かかるアクセス を改善するため、地下通路に「動く歩道」の建設が構想される。

          1994(平成6)年〜
          不況の影響で仕事にあぶれた日雇い建設労働者や失業者が新宿地下通路等に流入し、路上生活者が急増。東京都本庁者へ向かう西口地下通路、インフォメーションセンター前広場、京王新線地下道などにダンボールハウスが次々に建設された。

          1994(平成6)年  12 月28 日
          増加した路上生活者により、炊き出しなどの第1 回「新宿越年闘争」が行われる。以降、毎年の年末始に行われる。

          1995(平成7)年  8 月14 日
          武盾一郎、「新宿の寅さん」(注)と呼ばれたダンボールハウス居住者S 氏の許可を得て、吉崎妙子と共同で初のダンボールハウス絵画を描く。

          (注)渥美清主演の喜劇映画シリーズ「男はつらいよ」(1969 〜1997 年製作、松竹)の主人公「フーテンの寅さん」をもじったあだ名。家出して新宿の駅前広場や地下通路などにたむろし、奇抜な服装やシンナー遊びで世間の視聴を集めた若者たちが「フーテン(瘋癲)」と呼ばれた。

          8 月
          太田倫美、上條久美子、ダンボールハウス絵画製作に数日参加。武陽子(武盾一郎の妹)も1 日だけ参加。太田倫美、初期のダンボールハウス絵画作品の写真を撮影。

          9 月4 日
          彩光舎美術研究所(埼玉県さいたま市)で武盾一郎と吉崎妙子と学友であった山根康弘がダンボールハウス絵画制作に加わる。武盾一郎、吉崎妙子、山根康弘はコラボレーション・グループ「無×一色創庫」を結成し、共同制作を開始。

          9 月
          ダンボールハウス絵画の代表作とも言える「新宿の左目」制作(武・吉崎・山根合作、武のエスキース帖には13 作目と記載)。宮下芳子作品「新宿の目」(スバルビル地下1階壁 面)が右目の形をしていることに着目して、西口地下ロータリーをはさんでその反対側にあったダンボール製倉庫に「新宿の左目」を描いたもの。

          1996(平成8)年1月
          迫川尚子、ダンボールハウス絵画の撮影を開始、1998年2月14日の自主撤去まで撮影し続ける。

          1 月24 日
          「動く歩道」建設準備のため、地下通路のダンボールハウスが東京都により強制撤去される。B 通路の代表作と言える「スイートホーム」はこの日完成するとともに撤去され た。山根康弘が制作を辞め、「無×一色創庫」は武盾一郎と吉崎妙子の2名によるコラボレーションに移行。強制撤去後、新たに建設されたダンボールハウスは地下広場(通称インフォメーション前広場)に集中し、いわゆる「ダンボール村」となる。

          6 月〜 7 月
          地下通路に「オブジェ」(突起物)と「動く歩道」が完成。

          8 月 7 日
          鷹野依登久、単独でダンボールハウスに絵を描き始める。その後、1カ月程度描き続ける。(注)江森晴彦も8月中に1 日だけ参加。

          8 月17 日
          武盾一郎、新宿中央公園で行われた第3 回新宿夏まつりのステージ絵を制作。

          8 月19 日
          武盾一郎、地下通路の「オブジェ」に顔を描き逮捕。22 日間拘留される。

          『東京ジャーナルのインタビューで都は「あれは道の外観を良くするオブジェである」とヌケヌケと答えているし、新聞では「ホームレスが住めないようにする為の措置」と思わず本音を答えている。どっちにしてもかなりムカついた。そんなら東京都の意向に合わせて外観をもっと楽しくしてやろう、と突起物に巨大な埴輪(「タケヲ」が1ヶ月かけて作った)を被せ、東京都の意向に合わせて、そこにダンボールハウスが置けなくしてやった。そしたら10 分も経たないうちに撤去しやがった。頭に来たのでもう一度そ こに出向いて突
          起物に「顔」を描いてやった。』(武盾一郎)

          1997(平成9)年 2 月2 日
          武盾一郎と吉崎妙子がコラボレーションを解消。以降、1998 年のダンボール村消滅まで別々に描き続ける。

          8 月17 日
          新宿中央公園で第4 回新宿夏まつりが行われ、約2 千人が集まり過去最大級の夏まつりとなる。武盾一郎と鷹野依登久がオブスキュア・ギャラリー(東京大学駒場寮内)で制作した巨大ダンボール絵画をステージ絵に使用。武盾一郎、大友良英プロジェクトの演奏をバックにライブ・ペインティングを実施。

          1998(平成10)年 1 月16 日
          武盾一郎、ジャーナリスト コリーヌ・ブレの勧めに従い、新宿での制作を中断し、下中島公園テント村「しんげんち」(神戸市須磨区)に移住。以降、「しんげんち」にて制作。

          2 月7 日
          ダンボール村で大火災、4 名が死亡。

          2 月14 日
          新宿連絡会が自主撤去してダンボール村は消滅。居住者は新宿中央公園などに移動。

          8 月16日
          武盾一郎、新宿中央公園の第5回新宿夏まつりのステージ上で終日ライブ・ペインティングを実施。



          年譜PDF


          | ビラ・資料等配布物 | 09:27 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
          毛利嘉孝氏 Nadiff talk 配布用レジュメ
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            On 2005年 9月 9日 , at 6:11 PM, Take Junichiro wrote:
            明日のナディッフトークの毛利氏のレジュメです。
            大変興味深いレジュメとなっておりますので、是非とも明日ナディッフへお越し下さい。
            武盾一郎 拝

            ダウンロード
            http://cardboard-house-painting.jp/danken/mouri_resume.doc

            以下、毛利氏のレジュメ↓
            ++++++++++++++++++++++++++++++
            2005年9月10日@NADIFF

            新宿ダンボールハウス・ペインティングの記録「新宿の左目」
            トーク・イベント「過剰なリアリズム〜シュルレアリスムとグラフィティの交錯点」
            毛利嘉孝

            むろん、芸術家のアヴァンギャルドは、即座に、政治家のアヴァンギャルドに変貌するであろう。---もしもかれらが、いままで、内部の世界にそそいできたような視線を、外部の世界にむかってそそぎはじめるならば。
            花田清輝『アヴァンギャルド芸術』1954

            「林檎に対する一考察」
            岡本太郎の林檎、セザンヌの林檎、ダリの林檎、ウィリアム・テルの林檎


            1.はじめに
            1‐1「過剰なリアリズム」
            Sur/realism「超現実」ではない「シュルレアリスム」 「過剰さ」とはなにか?

            1‐2 グラフィティとシュルレアリスムの交錯点
            新宿ダンボールハウスの運動を、政治的グラフィティとシュルレアリスムの歴史的な交錯点として位置づける。

            2.もうひとつの「シュルレアリスム」、あるいは複数の「シュルレアリスム」
            2‐1 シュルレアリスム批判
            この最後の芸術の芸術としての生存権こそ、シュルレアリスムの否定したものにほかならない……シュルレアリストたちはきわめて過激な戦いを行ったのだが、二つの過ちがかれらの反乱を挫折させることになった。一つは、自律的に発展してきた文化領域という容器が破壊されると、その中身までが流出してしまうということである……かれらの二つ目の過ちは、より重大な影響を残した。日常的なコミュニケーションにおいては、認識的意味、道徳的期待、そして主観的表現及び価値評価は、互いに結びついていなければならないのである。  
            ユルゲン・ハーバーマス「近代----未完のプロジェクト」

            シュルレアリスムは政治と芸術の誤った融合か? 
            アメリカ的モダニズムの勝利と芸術の自律性か?あるいは芸術の脱政治化か?

            2−2シュルレアリスムと政治
            マルクスは「世界を変革すること」と述べました。ランボーは「人生を変えること」と述べました。わたしたちにとって、これら二つのスローガンは、ひとつのものとなるのです。
            アンドレ・ブルトン「作家会議での発言」1935

            1919年 『磁場』アンドレ・ブルトン+フィリップ・スーポー
            1924年 「シュルレアリスム」宣言
            1925年 モロッコ戦争に対する反対運動→運動の政治化へ
            1926年 ブルトン、エリュアール、アラゴン共産党入党
            1929年 トロツキーのソ連追放決定
            1935年 ブルトン共産党離党

            --------------------------------
            メキシコ
            1920〜 壁画運動始まる。
            1937年 トロツキーがメキシコへ亡命。リベラが受け入れる。
            1938年 「宣言・自由な革命芸術のために」マニフェスト:リベラ+ブルトン(+トロツキー)
            1940年 トロツキー暗殺
            1954年 リベラ共産党復党(離党は1929年)社会主義リアリズムへ
            シケイロスからポロックへ(魔術的シュルレアリスムと抽象表現主義の関係)
            --------------------------------

            2−3 日本における絵画のシュルレアリスムのひとつの歴史
            1929年 二科会第16回展における「新傾向」(中川紀元(きげん)、川口軌外(きがい)、東郷青児「超現実派の散歩」、阿部金剛(こんごう)「Rien」、古賀春江「海」)
            1930年 『アトリエ』超現実主義の特集。
            ブルトン・瀧口訳『超現実主義と絵画』 阿部金剛『シュールレアリスム絵画論』
            峰岸義一「新興浪漫派」 鶴岡政男「NOVA美術協会」 
            福澤一郎「独立美術協会」
            1931年「独立美術協会」第一回展で福澤一郎の作品37点が公開。
            1932年「巴里・東京新興美術展」
            1934年「新造形美術協会」下郷(しもざと)羊(よし)雄(お) 瀧口修造 山中散生(ちるう)
            1939年 福澤一郎、瀧口修造「美術文化協会」結成 機関誌『美術文化』
            1941年 超現実主義弾圧事件 福澤・瀧口 治安維持法違反嫌疑で検挙 「美術文化協会」の転向声明


            2−4 もうひとつのシュルレアリスム?

            日本の超現実主義絵画というとすぐに出てくる福澤一郎と瀧口修造の名前の取り合わせは、考えてみると、奇妙にちぐはぐな、合わない錠と鍵のような感じを私に与える。それがもともとわが超現実主義絵画運動の特殊性であったように思えたりするのだが、(いささか冴えない比喩を使うとすれば)まるで<現実>と<超現実>の解剖台の上での出会いのように、変によそよそしい。ところが同じように、日本超現実主義として奇妙にちぐはぐな感じを与えながらも、こちらの方はミシンと蝙蝠傘の出会いみたいな、別の評論家と画家、<論>と<絵>の組み合わせがある。竹中久(きゅう)七(しち)と古賀春江がそれだ。
            中村義一『続日本近代美術論争史』1982

            竹中久七の「科学的超現実主義」
            シュルレアリスムは唯心論者(至上主義)の左翼であり、プロレタリア芸術は唯物論者(功利主義者)の左翼である。ブルジョア芸術と称されることを潔しとしないまでに社会的関心を持つシュルレアリストは、プロレタリア芸術運動に身を投ずるべきだ。
            →超現実主義を超階級性へ。空想から科学へ 
            シュルレアリスムとプロレタリア芸術の(弁証法的な)統合?



            2−5 プロレタリア「芸術」、あるいは民衆芸術としてのシュルレアリスムの再考
            (社会主義リアリズムの伝統的な時代区分ではなく、時代を越えて繰り返し回帰するものとして)

            ■柳瀬正夢 (1900〜1945)
            1920年 読売新聞入社。未来派運動に対する関心。
            1921年 第二次『種蒔く人』同人となり、装丁と挿絵を手がける。
            1923年 関東大震災。MAVO結成(村山知義らと) 『五月の朝と朝飯前の私』震災のスケッチ

            私(ママ)は文芸の野からだんだんと縁遠くなつた。どうしたことなのだ。僕にはすべてがもどかしい。額縁にはめられた画、紅茶のような雑文の流行、どれもこれも小つぽけな応接間美術だ。資本家のデコレーションだ。今の僕には漫画という形式が一等格好だ。未来派、表現派、浪漫派、構成派その他イズムに問はない。革命をかもしだす手段にかなえば何でもよい。
            柳瀬正夢「馬橋通信」『文芸戦線』所収1925

            1926年 日本漫画連盟設立。村山知義や小林源太郎らと街頭似顔絵市場。
            1927年 全日本無産者芸術連盟(ナップ)参加 
            この頃『無産者新聞』『文芸戦線』(1924-32)『戦記』などの装丁を手がける。
            1931年 共産党入党
            1932年 治安維持法違反容疑で逮捕。

            ■山下菊二(1919〜1986)
            1938年 福沢一郎絵画研究所に入り、シュルレアリスムを学ぶ。
            1939年 召集され、中国戦線へ送られる。帰国後、美術文化協会に入る。
            1943年 再召集
            1947年 共産党入党。前衛美術会結成に参加
            1952年 小河内(おごうち)ダム建設反対運動の山村工作隊の文化工作隊として、桂川寛、尾藤豊たちと小河内村に二ヶ月滞在。
            1955年 六全協(第六回全国協議会)を機に、共産党を離党。

            処罰といえばおおげさかもしれませんが、大体、前衛美術会に参加している美術家はもともとシュルレアリスム系が主流の団体でしたから、党の中で主流だったプロ美系にとっては異端だったのでしょう……わたしたちを山村工作隊へでも送って実用的な絵かきに鍛えなおすということだったのかもしれません。
            山下菊二「強迫的な戦場の悪夢と最後の戦い」1980

            1953年 東京都美術館「第一回ニッポン展」に「あけぼの村物語」出展。
            1970年ごろから、「反天皇シリーズ」「戦争と狭山裁判」などのコラージュをてがける。

            ■山本作兵衛(1892〜1984)
            山本作兵衛さんは明治二十五年筑豊に生まれた。十二歳で炭鉱のツルハシ鍛冶に弟子入りし、十四歳で入坑、以来六十二歳まで筑豊の小ヤマで炭坑夫として生きた。その後七十歳を過ぎるまで、閉山あいつぐ廃坑の夜警員として働いた。

             昭和三十二年、作兵衛さん六十四歳の時、突然天の啓示を受けたかのように、筑豊炭坑の記録画を憑かれたように描きはじめる。以来描いた絵画は実に一千枚にのぼ
            る。文字通り作兵衛さんが生きた明治、大正、昭和三代にわたる筑豊炭田百年の壮大なドラマが克明に描かれている。日本の近代化を裏で支えた暗闇の地底の世界がはじめて、一人の老人の絵によって、その全貌を現したのである。
             この画業は名も無き一坑夫によってなされた偉大な民衆絵画の記念碑である。
            菊畑茂久馬『反芸術綺談』1986

            私の絵にはひとつだけ嘘がある。地底には光がないので色がない。山本作兵衛


            3.グラフィティ・アートの系譜

            この種の芸術(アート)は、残念なことにほとんど残っていない。壁に描かれた落書き(ドービング)の芸術的価値も歴史的価値も理解することができない勤勉な当局によっ
            て、その多くは破壊されてしまうからである。

            Banksy 大英博物館『古代ローマの英国』の展示室の中に、自分の『狩に出かける古代人』という題がつけられた自分の作品を無許可で設置した際のニセの解説板。

            3−1.考古学用語としてのグラフィティ
                歴史的な落書き 「ぜいたくは素敵だ」「夜露死苦」……
                二重の政治性:公的な声をもたない人のメディア
                       空間を私有していない人の一時的空間領有の手段

            3−2.シチュアシオニスト・アンテルナシオル(SI)
             「スペクタクル社会」批判 
              闘争の場の変容 生産から消費へ 労働から余暇へ 工場から都市へ

            3−3.パリ五月革命 
             「スペクタクル商品社会打倒」「決して労働するな」
            「死んだ時間なしに生きること、制限なしに楽しむこと」「君たちの欲望を現実とみなせ」
              ⇒アウトノミアへ

            3−4.ニューヨーク・ヒップホップ文化
            音楽(ヒップホップ、テクノ)とともにSIに対する黒人からの返答 (ジャズがシュルレアリスムに対する返答だとすれば)

            生産様式の変容(フォーディズム的・近代生産主義的生産様式から、ポストフォーディスト的・ポスト近代的生産様式へ)

            3−5.壁の文化 BANKSYの最近のプロジェクト

            3−6.生産者としての作家から民族誌家としての作家へ:生産(プロダク)主義者(ティヴィスト)から状況(シチュアシ)主義者(シオニスト)へ
              Hal Foster, Return to the real1999

            4.新宿ダンボールアートはどのように位置づけることができるのか?


            以上
            | ビラ・資料等配布物 | 18:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            シンポジウムのチラシ
            0
              On 2005年 9月 2日 , at 11:59 PM, Eiichiro Fukase wrote:
              マックユーザーの方すみません。
              会社の機材がwinなので、WORDでシンポジウムのチラシを作りました。
              心当たりの先に皆で置いていただけると助かります。
              深瀬

              http://cardboard-house-painting.jp/danken/symposium.doc

              | ビラ・資料等配布物 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              プレスリリース
              0
                ダン研のプレスリリースです。
                ダウンロードURL公開いたします。

                http://cardboard-house-painting.jp/danken/press.doc



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                今はなき王国のための地図
                0
                  今後「ダン研」の活動のアイコンとなるであろうと思われる、
                  新宿マップ「今はなき王国のための地図」です。
                  A4出力用PDFダウンロードURL公開いたします。

                  <表・地図面>

                  (作成:氏原茂将)

                  ダウンロードURL
                  http://cardboard-house-painting.jp/danken/map01.pdf



                  <裏・テキスト面>

                  (作成:氏原茂将)

                  ダウンロードURL
                  http://cardboard-house-painting.jp/danken/map02.pdf

                  (白地ヴァージョン)
                  http://cardboard-house-painting.jp/danken/map02-shiroji.pdf

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